映画の処方箋

Vol.187

『ライフ・イズ・ビューティフル』

強制収容所を舞台にした、笑えて泣ける、感動のおとぎ話

 『ライフ・イズ・ビューティフル』は1998年の第51回カンヌ国際映画祭でグランプリを獲り、翌99年のアカデミー賞で主演男優賞と外国語映画賞をダブル受賞した感動のヒューマン・コメディだ。ちなみに同年のカンヌ映画祭で最高賞のパルム・ドールを獲得したのはテオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』、審査員長はマーティン・スコセッシだった。

 この映画がすごいのはナチの強制収容所を“コメディ”として笑い飛ばしていること。ホロコーストがあまりにも重い歴史的事実だけに、それを笑うとは不謹慎だという人がいるかもしれない。けれども、ロベルトの父ルイジ・ベニーニは実際に1943年から45年までベルゲン=ベルゼン強制収容所に入れられた人であり、その時の体験を父から聞いて育った息子が、大人になってコメディアンになり、コメディという形で父の悪夢を昇華させたと考えると胸に迫るものがあるのではないだろうか。

 時は1939年。グイド(ロベルト・ベニーニ)は友人のフェルッチョ(セルジョ・ブルトリック)を伴い、伯父さん(ジュスティーノ・デュラーノ)を頼ってアレッツォにやってくる。伯父さんは町一番のグランド・ホテルで長年給仕をしながら、珍しい品物をコレクションし、ロビン・フッドという馬を駆っている愉快な老人だ。本が大好きなグイドは町で本屋を開くのが夢。さっそく役所に開業の申請に行くが、担当の意地の悪い局長を怒らせてしまい、仕方なく伯父さんの下で給仕として働き始める。町に来る途中で偶然出会った娘ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)に一目ぼれしたグイドは、小学校教師の彼女に猛烈アタック。ドーラの母親(マリッサ・パレデス)はドーラの幼馴染の局長と結婚させたがっていたが、知事を招いてグランド・ホテルで開かれたパーティで、局長やファシスト党の権力者たちの話にうんざりしたドーラは、ロビン・フッドに乗って助けにきたグイドと共にパーティを逃げ出し、めでたく結ばれる。そして数年後。グイドとドーラにはジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)という息子が生まれ、家族三人で幸せに暮らしていた。しかし、この町にもユダヤ人狩りの波が押し寄せてきた。伯父さん、グイド、ジョズエが収容所へ送られることになり、一人残ったドーラも後を追う。収容所に着いたグイドは、どんなことがあっても息子を守ろうと決意し、得意の空想力を発揮して、すべてがまるで1等賞の戦車を貰うための遊びであるよう、ジョズエに信じ込ませる…。

 本物の収容所は映画ほど甘くない、という意見もあるだろう。けれども、この映画は収容所の残酷さを告発するための映画ではない。ベニーニが描こうとしたのは、映画の冒頭でも宣言されている通り、父の愛をテーマにしたおとぎ話であって、それは見事に成功している。

 監督・主演のロベルト・ベニーニは1952年生まれのスタンダップ・コメディアン、俳優、映画監督。1986年に出演したジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』で世界的に有名になり、続く『コーヒー&シガレッツ』、『ナイト・オン・ザ・プラネット』にも出演。90年にはイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニの遺作『ボイス・オブ・ムーン』の主演も務めた。『ライフ・イズ・ビューティフル』は9本目の監督作だ。1991年には長年のパートナーであるニコレッタ・ブラスキと結婚し、現在も二人三脚で活動を続けている。驚くほど自然な演技を見せる子役のジョルジオ・カンタリーニは1992生まれで、『ライフ・イズ・ビューティフル』が映画初出演。その後は2000年の『グラディエーター』でラッセル・クロウの息子役を演じるなどし、今でも俳優を続けている。

 撮影はパゾリーニの『マンマ・ローマ』、『奇跡の丘』、フェリーニの『ジンジャーとフレッド』、『ボイス・オブ・ムーン』など数々の名作で知られる名匠トニーノ・デッリ・コッリ。音楽は現在までに170本以上の音楽を担当しているイタリア映画音楽の重鎮ニコラ・ピオヴァーニ。スタッフにも超一流の人材が結集し、ベニーニの快演を支えている。

ライター 斎藤敦子のプロフィール

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