映画の処方箋

Vol.186

『ボディガード』

歌姫ホイットニー・ヒューストンの絶頂期を記録した、価値あるメロドラマ

 『ボディガード』は1992年に公開され世界中で大ヒットしたロマンチック・サスペンス映画だ。凄腕ボディガードが警護についたスーパースターと恋に落ちる。真面目に考えるとありえないストーリーだが、主演が男盛り37歳のケヴィン・コスナー、相手役がこの時がキャリアの絶頂だったホイットニー・ヒューストンとすれば話は別。驚くことに今でも少しも古びて見えないのは、ホイットニーがカヴァーしたカントリーの名曲<オールウェイズ・ラヴ・ユー>の力が大きい。

 主人公はレーガン大統領狙撃事件を阻止できなかったことに責任を感じて退職し、今は個人で仕事を引き受けているボディガードのフランク・ファーマー(ケヴィン・コスナー)。ある日、人気歌手で女優のレイチェル・マロン(ホイットニー・ヒューストン)のマネージャー、ビル(ビル・コッブス)から警護を依頼される。数か月前から不審な事件が起こっていたが、ついに殺人を予告する脅迫状が送り付けられたというのだ。ビルの熱意に負けたフランクがハリウッドの豪邸に行ってみると、レイチェルは一人息子フレッチャー(デヴォーン・ニクソン)、姉ニッキ―(ミシェル・ラマー・リチャーズ)、PR担当のサイ(ゲイリー・ケンプ)、それに護衛のトミー(マイク・スター)ら取り巻きに囲まれてはいるものの、警備体制は穴だらけ。しかも脅迫状のことを知らされていないレイチェルから冷たくあしらわれる。しかし、ライヴハウスで危ないところを助けられたレイチェルは次第にフランクを信頼し、心を開き、ついには一夜を共にしてしまう…。

 『ボディガード』は、『スター・ウォーズ』シリーズなどで知られる名脚本家ローレンス・カスダンがプロに転向するきっかけとなった脚本である。当時はスティーヴ・マックイーン、ダイアナ・ロスの主演を想定して書かれていた。が、映画化は難航、カスダンによれば67回断られたという。その後、カスダンはスピルバーグに認められて『レイダーズ/失われた聖櫃』や『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』などの脚本を担当、また『白いドレスの女』で監督デビューすると、『再会の時』、『偶然の旅行者』などで監督としてのキャリアを積んでいく。お蔵入りした脚本に再び光が当たったのはケヴィン・コスナーが製作に乗り出してから。脚本が書かれて15年後のことだった。

 ケヴィン・コスナーは1955年生まれ。長い下積みの後、『再会の時』に出演したのがきっかけでカスダンと知り合い(出演場面は本編からカットされたが)、『シルバラード』の準主役に抜擢される。同時期に主演した『ファンダンゴ』と合わせて注目されるようになり、以後、次々に主演作が大ヒットし。1990年には初監督作『ダンス・ウィズ・ウルブズ』で作品・監督などアカデミー賞7部門を制覇、ハリウッドの頂点に立った。当時の彼には旧友カスダンの忘れられた脚本を取り上げ、映画化するのは簡単なことだったに違いない。しかし、さすがアカデミー賞に輝くプロデューサーだけあって、彼の2つの提言が結果としてこの映画を大ヒットに導くことになった。それは、オリジナルの脚本が主演に想定していたダイアナ・ロスに代わるスーパースター役にホイットニー・ヒューストンを推薦したこと、彼女に<オールウェイズ・ラヴ・ユー>の導入部をアカペラで歌わせたこと、である。

 ホイットニー・ヒューストンは1963年8月9日。母も歌手、従姉にディオンヌ・ワーウィックがいる音楽一家に生まれる。教会の聖歌隊から自然に歌手の道へ進み、85年にアルバムデビュー。2曲目のシングル<すべてをあなたに>から、ビートルズを上回る、7曲連続全米シングルチャート1位の記録を打ち立てた。『ボディカード』の主題歌<オールウェイズ・ラヴ・ユー>は全米シングルチャートで17週連続1位、全世界で4200万枚を売り上げる彼女の最大のヒット曲となった。

 しかし、映画公開の年に歌手のボビー・ブラウンと結婚、翌年一人娘ボビー・クリスティーナ・ブラウンを出産したあたりから、キャリアが低迷を始める。夫のDV、薬物依存などのトラブルが続き、リハビリを経て、離婚を成立させ、復活の意欲を見せたが、2012年2月11日、滞在先のビバリーヒルトンホテルで死去。死因は入浴中の心臓発作による溺死だった。

 『ボディガード』のラストで、<オールウェイズ・ラヴ・ユー>を歌うホイットニーのアカペラが聞こえてくると今もゾクゾクする。奇しくも彼女の絶頂期を記録することになった『ボディガード』は、そのことだけで永遠の命を得たと言えるだろう。映画の中の彼女は、いつ見ても若く美しく輝いているのだから。

ライター 斎藤敦子のプロフィール

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