映画の処方箋

Vol.077

『ミルク』

2度目のオスカーを手にしたショーン・ペンの名演。

1980年代初めは、現在はベテランとなったスターたちが次々にデビューした時代だった。当時人気があったのは、デミ・ムーアやアリー・シーディ、ロブ・ロウ、エミリオ・エステベスら、“ブラット・パックと”呼ばれた青春スターのグループだったが、むしろ当時は脇役だったトム・クルーズ、マット・ディロン、キーファー・サザーランドらの方が今では大スターに成長している。ショーン・ペンも彼らの仲間だったが、彼の場合は最初から1つのグループには納まりきらない、独特の雰囲気が漂っていた。それは彼がトム・クルーズのような絵に描いたようなハンサムではなかったこともあるだろうが、父親が映画監督、母親が女優、兄弟がミュージシャンと俳優という芸能一家に生まれ、しかも父親が赤狩り時代にブラックリストに載せられていたこともあって、芸能界の光と影を見ながら育ってきたこと、最初から監督を目指していたことが単なる俳優にはない、大物感を形作っていたような気がする。だが、俳優として有名になる前の1985年、マドンナと結婚して私達映画ファンをアッと言わせた。マスコミは“マドンナがなぜこんな脇役俳優と?”という論調だったが(マドンナには才能ある男をコレクションする癖があるから当然だ)、私達は“ショーンは、なぜマドンナなんかを選んだのか?”と驚いたのだった。しかし、この嵐のようなカップルは当然長続きせず、ショーンが数々の警察沙汰を起こした後、1989年に離婚した。

私はインタビューの仕事が苦手なので、あまりしたことはないが、ショーン・ペンには会ったことがある。1995年に『クロッシング・ガード』がヴェネチア映画祭に出品されたときで、日本の映画会社が製作費を出していた関係で、日本人プレスのインタビューを受けてくれたのだった。実際に会ってみると、数々の事件の噂が嘘のような、物静かな好青年で、インタビューする私達の方を気遣ってくれるような人だった。当時は隠遁していたテレンス・マリックに会いに、よくテキサスに行くという話は、後年『シン・レッド・ライン』への出演として実を結んだ。“撮影時、誰よりも早く現場に入り、カメラを回っていないときも、ずっと役のままに入り込んでいた”という彼のエピソードに、“尊敬する監督の作品に入れ込んでしまう”熱血漢ぶりが伝わって微笑ましかった。

その後、年齢を重ね、本物の大物となっても、自分が出演する映画の選び方には1本筋が通っていて、トム・クルーズが代表するハリウッド・スター的な生き方とは違う骨っぽさがあり、仕事に対する熱心さも知れ渡って、彼自身が同業者から尊敬される立場になった。『ミスティック・リバー』と『ミルク』で2度アカデミー主演男優賞を受賞して、スペンサー・トレーシー、ゲイリー・クーパーといった名優に並んだのも当然で、受賞回数は今後さらに伸びていくことだろう。

彼が主演男優賞を受賞した『ミルク』とは、1970年代に同性愛者の権利を守るために活動し、“カストロ通りの市長”(カストロ通りはゲイ・コミュニティーとして有名)と言われたサンフランシスコの市議会議員ハーヴィー・ミルクの人生を描いた映画である。この映画の噂を聞いたときに、私は1984年にアカデミー賞を受賞したドキュメンタリー『ハーヴェイ・ミルク』を見ていたので、外見がまるで似ていない、男っぽいショーン・ペンが同性愛者のミルクを演じることに一抹の不安を感じたのだが、実際に出来上がった映画を見てみたら、ふとした仕草がはっとするほど似ている気がして、ショーン・ペンの演技力に舌を巻いたのだった。

監督は最新作『永遠の僕たち』が日本公開されたばかりのガス・ヴァン・サント。本作でもジェームズ・フランコ、エミール・ハーシュ、ディエゴ・ルナら、いかにもヴァン・サント好みな美男俳優を揃えているところが(監督の特権とはいえ)ステキである。

そして、もう1つの見どころは、マスコーニ市長とミルクを暗殺する敵役のダン・ホワイトを演じたジョシュ・ブローリンである。彼も、体格・雰囲気ともに少しも似ていないホワイトに見事になりきっていて、一見、不器用そうなジョシュと、一見して巧いショーンの演技対決は必見だ。本作を見て、実在のミルクに興味を持った人には、ロバート・エプスタイン&リチャート・シュミーセンの『ハーヴェイ・ミルク』を見ることをお薦めする。ショーン・ペンの演技力に改めて感心するはずだ。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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