映画の処方箋

Vol.062

『ライトスタッフ』

世界最速の男と7人の宇宙飛行士

 夏になると夜空が気になるのはなぜだろう。七夕も夏だし、花火大会も夏だ。星空の下、浴衣を着て夕涼みなんて暑い夏だからこそ。冬だったら風邪を引いてしまうだろう。織り姫と彦星が年に1度の逢瀬に、わざわざ台風の来る7月を選んだのも、会える確率より、夏の夜空の魅力を選んだからかもしれない。おりしも7月21日には、アメリカのスペースシャトル“アトランティス”が最後の任務を追えて地球に帰還し、1981年に始まったNASAのスペースシャトル計画に終止符が打たれる。この際、『ライトスタッフ』を見て、宇宙開発に命を賭けた人々に思いをはせるのも、夏の夜の過ごし方としては一興だ。

 映画『ライトスタッフ』は、トム・ウルフの原作を元に、アメリカによる宇宙開発の創世記ともいうべきマーキュリー計画と、それに関わった人々の姿を描いた作品である。当然のことながら主人公は“マーキュリー・セブン”と呼ばれた7名の宇宙飛行士になるわけだが、監督のフィリップ・カウフマンは、彼ら生え抜きのエリート飛行士の対極に、ただ黙々と音速の壁に挑んだ一匹狼のテストパイロット、チャック・イエーガー(サム・シェパード)の姿を置いて、パイロットとして、宇宙飛行士としての“ライトスタッフ”(正しい資質)とは何かを問いかける。単なる英雄譚にしていないところが、この映画の面白さであり、深さでもある。また、映画ファンとしては、若きサム・シェパードのカッコよさは言うまでもなく、エド・ハリスやスコット・グレンら、後に大成する渋めの男優達が、まだ水気たっぷりに登場するのが嬉しいところ。映画のテクニカル・アドバイザーを務めたイェーガー本人も本編にカメオ出演しているのでお見逃しなく(パンチョの酒場の場面に登場。サム・シェパードがバーバラ・ハーシーと“テネシー・ワルツ”を踊る直前に、シェパードの向かいに座っているのが、おそらく彼)。

 では、ざっとストーリーをおさらいしておこう。
1947年10月14日、カリフォルニアの砂漠にあるエドワーズ空軍基地。テストパイロットのチャック・イェーガーは、ベルXS-1で世界初の音速の壁を突破することに成功する。前日、落馬事故で肋骨を骨折していたにもかかわらず、骨折を隠して搭乗。同僚のリドリー大尉(リーヴォン・ヘルム)のアイデアで、モップの柄を使って内側からハッチを閉めたという逸話は事実だ。こうして世界最速の男となったイェーガーだが、当時は国家機密扱いで、『ライトスタッフ』が映画化されるまで一般に名前が知られることはなかった。

 1957年10月4日、ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。遅れをとったアメリカは、世界初の有人宇宙飛行を目指してマーキュリー計画を立ち上げる。宇宙飛行士にふさわしい人材は誰か? 数々の珍案奇案が出されるなか、軍人出身のアイゼンハワー大統領の鶴の一声で、軍のパイロットの中から候補を選ぶことになる。こうして空軍からゴードン・クーパー(デニス・クエイド)、ガス・グリソム(フレッド・ウォード)、ディーク・スレイトン(スコット・ポーリン)、海軍からアラン・シェパード(スコット・グレン)、スコット・カーペンター(チャールズ・フランク)、ウォルター・シラー(ランス・ヘンリクセン)、海兵隊からジョン・グレン(エド・ハリス)の7名が選ばれるが、イェーガーは学卒でないという理由で跳ねられる。

 宇宙という未知の領域に挑むため、厳しくも滑稽な訓練が開始される。人を人とも思わない、実験動物さながらの扱いに耐える7名。しかし、またもソ連が先だった。1961年4月12日、ガガーリンの乗ったボストーク1号による世界初の有人宇宙飛行成功。アメリカはそれに遅れること3週間、1961年5月5日に、アラン・シェパードを乗せたマーキュリー・レッドストーン3号の打ち上げを成功させるのだった…。

 トム・ウルフの原作はもっと批評性の強いものだそうだが、フィリップ・カウフマンは、宇宙開発競争のモルモットにされるだけではない、飛行士達の愛国心と冒険心を描き込んで、気持ちの良い伝記映画に仕上げている。この作品とロン・ハワードの『アポロ13』を合わせて見ると、マーキュリー計画からアポロ計画に至るアメリカの宇宙開発の歴史がたどれるだろう。

 最後に、1人と7名のその後を簡単に紹介しておこう。マーキュリー計画は、6回の有人飛行を成功させた後、月面着陸を目的としたアポロ計画と、その前段階のジェミニ計画への移行により、1963年に中断。当時、唯一人宇宙飛行を経験できなかったディーク・スレイトンは、1975年の最後のアポロ宇宙船打ち上げに最年長宇宙飛行士として搭乗し、念願を果たした。今も健在なマーキュリー・セブンは、スコット・カーペンターとジョン・グレンの2名のみ。一方のチャック・イェーガーは、1975年に准将で空軍を退役。その後も空軍とNASAのテストパイロットとアドバイザーを務め、現在もカリフォルニア州で暮らしている。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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