映画の処方箋

Vol.027

『シークレット・ウィンドウ』

鏡の中に謎がある

見たときはさほど強烈な印象を受けなかったのに、時間が経つに連れて印象が鮮明になり、また見たくなる映画がある。デヴィッド・コープの『シークレット・ウィンドウ』も、そんな1本だ。私がジョニー・デップのファンということもあるし、恐がりなこともある。恐がりは恐怖の感受性が高い。原作のスティーヴン・キングも、監督のデヴィッド・コープも、きっと超のつく恐がりではないかと私は思う。そのうえ、この映画には、謎解きを終えると面白さが半減する普通のミステリー映画とはちょっと違う、“後を引く面白さ”があると私は思う。

 ストーリーを簡単に説明しよう。主人公は売れっ子ミステリー作家モート・レイニー(ジョニー・デップ)。半年前に妻エイミー(マリア・ベロ)の浮気をつきとめ、離婚協議中の彼は、一人で静かな湖畔の別荘に引きこもり、新作を執筆している。とはいえ、筆は一向に進まず、実際は毎日寝てばかり。そこにジョン・シューターと名乗る男(ジョン・タトゥーロ)が現れ、彼の<秘密の窓>という小説は、自分が書いた<種蒔く季節>の盗作だと主張する。見れば、2作は一字一句同じ、違っていたのは結末だけだった。モートは必死に盗作でないことを証明しようとするが、シューターの要求は次第にエスカレートし、結末を書き直すように迫る。愛犬を殺されたモートは、旧知の私立探偵ケン(チャールズ・ダットン)を雇って身を守ろうとするが、謎の放火によって、盗作でないことを証拠する雑誌もろとも自宅が全焼したうえ、目撃者の話を聞きに行ったケンの姿も消えてしまう。果たしてシューターとは何者なのか…。

デヴィッド・コープ(本当はケプと発音するらしい)は『ミッション:インポッシブル』や『ロスト・ワールド』、最近では『天使と悪魔』など、ハリウッドの大作を多く手がける脚本家である。撮影監督出身の監督(例えばヤン・デ・ボン)はビジュアル優先の勢い先行型になり、脚本家出身の監督はストーリー優先のじっくり演出型になる、というのが私の持論(偏見?)だが、デヴィッド・コープを見る限りは当たっていて、『シークレット・ウィンドウ』は、いかにも脚本家出身の監督らしい、細部まできっちりこだわった演出がなされている。

(ここからネタバレがあります)

 さて、最初『シークレット・ウィンドウ』を見終わったとき、どことなく変で、気になるところがあったのだが、今回見直して、変だと思った理由を突き止めた。そして、アッと思った。デヴィッド・コープって、何て大胆不敵な人だろう、と。それはどこかというと、タイトルバックの長い1シーン1カットである。何とコープは、ここでミステリーの種明かしをしてしまったのだ。

 そのシーンを説明しよう。まず、カメラが湖の上から湖畔の別荘に近づいてき、2階の“シークレット・ウィンドウ”から屋内に入る。ついで、パソコンや手紙の載ったモートの机をなめて階下へ降り、立てかけた大きな鏡に近づいていく。鏡にはソファに寝転んだモートの背中が映っている。が、カメラが鏡の中に入ってしまうと、それがそのまま映画のシーンになるのだ。おわかりだろうか?つまり、映画は“鏡の中”で進行していくのである(クライマックスが近づいた頃に“鏡の中”から抜け出すシーンもちゃんとある)。

 このことを知って映画を見ると、デヴィッド・コープがどんなに綿密な演出プランを立てていたか、それに応えてジョニー・デップがどんな役作りを行ったかがよく見えてくる。彼の周到さと自由闊達さがブレンドされた演技には、ただ溜息をつく他ない。すでに見ている人も、もう一度、ぜひ。

もっと見る

ライター 斎藤敦子のプロフィール

前へ次へ

HOMEへ戻る