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映画の処方箋

何気なく観ていたアノ映画も、知れば「なるほど!」映画評論家 斎藤敦子が
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『フォックスキャッチャー』2017/04/19 UP 放送日時

大富豪とアマチュア・レスラー兄弟の危険なパワーゲーム

 ベネット・ミラーの『フォックスキャッチャー』は、2014年の第67回カンヌ映画祭で監督賞を受賞し、アカデミー賞に主演男優賞を始め5部門にノミネートした問題作。

 映画が描いているのは、1996年に起こった大富豪のジョン・デュポンがレスリング・コーチのデイヴ・シュルツを殺害した事件だが、実際の事件は、統合失調症を患っていて、強迫観念が講じて精神的に危うい状態だったデュポンが偶発的に引き起こした可能性が高い。それを、ミラーは背景を微妙に変えることで、より自分の世界に引き寄せた映画に作り変えていて興味深い。

 ロサンゼルス・オリンピック82kg級フリースタイルの金メダリスト、マーク・シュルツ(チャニング・テイタム)は、ソウル・オリンピックを目指してトレーニングを続けていたが、厳しいアマチュア規定のために経済的に逼迫していた。そんな折、アメリカ屈指の大財閥の御曹司ジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)から、ペンシルベニア州にある広大な屋敷の一角にあるトレーニング施設“フォックスキャッチャー”に来ないかという誘いを受ける。デュポンの目的は、有能なアマチュア・レスラーたちを集め、自分がコーチになってオリンピックで金メダルを獲らせ、自分に冷たかった母親(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)を見返すことだった。だが、マークの兄デイヴ(マーク・ラファロ)を“フォックスキャッチャー”のコーチに招いたことから、デュポン、マーク、デイヴの間に微妙な軋轢が生じ始める…。

 映画が公開されたときに、当然のことながら、関係者が事実を改変した点を指摘して物議をかもした。最も大きな改変は、ジョン・デュポンの母親は、デュポンがフォックスキャッチャーを建設する前に亡くなっていることと、デイヴが招かれる前にマークはフォックスキャッチャーを去っていて、同時にフォックスキャッチャーにいたことはないことの2つだろう。マークがプロレスに転向したことを否定的に描いていることも、ファンには不快だったようだ。

 では、なぜ事実を曲げたのだろうか?それを考えれば、ミラーが意図したテーマがおのずと浮き上がってくる。つまり、ミラーは事件の再現には興味がなく、肉親の愛を知らない大富豪と、強い絆で結ばれた貧しい兄弟という、相容れない2つの世界が交わることで生まれる軋轢と、その破綻が描きたかったのである。そしてそれは不気味なほど見事に描かれている。

 アッと驚くメイク(アカデミー賞メイクアップ賞ノミネート)で富豪デュポンになりきったのは、シカゴのコメディ・グループ“セカンド・シティ”出身のコメディアン、スティーヴ・カレル。アカデミー賞主演男優賞にもノミネートし、演技派としても注目され、『マネー・ショート』ではヘッジファンド・マネーシャー、ウディ・アレンの『カフェ・ソサエティ』ではハリウッドの大物プロデューサー役を演じている。兄デイヴ役は、最近ではアベンジャーズのハルク役で有名になった実力派マーク・ラファロ。高校時代にレスリングの経験があるといい、入念な準備を経ての演技で2度目のアカデミー賞助演男優賞にノミネート。弟マーク役は、高校時代にフットボール選手としてならしたチャニング・テイタム。今までアクションやコメディで軽めの演技ばかり披露していた彼にとって、マークは最も演技を要求される難役だが、レスリング場面の見事な体技も合わせて立派に演じきった、と私は思うのだが、アカデミー賞ノミネートを外れたのは、マーク役が最も改変の影響を受けた役で、映画公開後にマーク・シュルツ本人から抗議されたのが影響したかもしれない。物議をかもしたデュポンとマークの怪しいスパーリング場面は、まったくのフィクションだが、デュポンに同性愛的な傾向があったのは事実である。出番は短いが、母と息子の関係を一目で分からせてしまう超絶技巧的名演を見せたのはヴァネッサ・レッドグレーヴ。父母兄弟姉妹すべて俳優(リーアム・ニーソンの義母でもある)という英国演劇界きっての名門出身で、デ・パルマ版『ミッション:インポッシブル』の黒幕マックス役が印象的だった。最近ではイギリス製テレビ・シリーズ<コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語>のナレーションを担当している。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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