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映画の処方箋

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『大統領の料理人』2016/06/03 UP 放送日時

フランス大統領に最高の料理を提供した魅力的な女性の生き方

 『大統領の料理人』はフランスのミッテラン大統領の料理人に抜擢された女性シェフの実話の映画化。大統領官邸の豪華な内部や、美味しそうな料理がふんだんに登場し、目でも楽しめる作品だが、主人公の自分を曲げない、まっすぐで痛快な生き方が何よりも魅力的である。

 南極の科学基地に赴任する料理人と同じ船でやってきたオーストラリアの取材班は、男ばかりの基地になぜか女性シェフがいるのに目を止める。彼女はオルタンス・ラボリ(カトリーヌ・フロ)といい、前の職場が大統領官邸だったことから“女大統領”というあだ名で呼ばれていた。その4年前、ペリゴール地方のオルタンスの農場に迎えがやってくる。前日フランス料理組合の会長から、政府の高官が女性シェフを探しているという電話があり、パリに面接に行くことになったのだ。ところがパリで出迎えたダヴィッド・アズレ(イポリット・ジラルド)から実は大統領自身が専属の料理人を探しているのだと告げられ、そのままフォーブール・サントノレ通り55番地のエリゼ宮(大統領官邸)へ。最初は適任ではないと辞退するものの、大統領は伝統的な“おふくろの味”を食べたがっており、彼女を推薦したのが世界的三ツ星シェフのジョエル・ロブションであると聞き、引き受けることに。ところが官邸の主厨房は完全な男社会で、異分子のオルタンスは男たちの嫉妬とやっかみの的になる。それでもオルタンスはプライベートの小さな厨房で、若いパティシエのニコラ(アルチュール・デュポン)を助手に、困難な状況をものともせず、大統領(ジャン・ドルメッソン)のために祖母直伝のペリゴール地方の伝統料理を、心を込めて作り始めるのだが…。

 オルタンスのモデルになったのはダニエル・マゼ=デルプーシュといい、1988年から90年にかけてミッテラン大統領の料理人を務めた人。もともとベリゴール地方の料理を広めるためにアメリカに渡り、料理学校を開いていたという行動派で、大統領官邸の後、南極基地の料理人になったのも映画で描かれた通りだ。もちろん映画はフィクションだが、脚本段階で本人に見せ、意見を取り入れているので、大筋は事実からそれほど外れてはいない。彼女は冒険好きの活発な女性だが、厨房ではシックな黒の服を着て常にハイヒールを履いて調理していたそうで、その部分もカトリーヌ・フロがしっかりと映画に取り入れている。

 主演のカトリーヌ・フロは1957年生まれの59歳。舞台出身で、初めは『家族の気分』や『奇人たちの晩餐会』といった喜劇の脇役として重宝されていたが、普通の女優とは逆に歳を経て主役を演じることが多くなった稀有な才能の持ち主だ。大統領役のジャン・ドルメッソンは元伯爵という由緒正しい家柄に生まれた現在91歳のジャーナリスト、作家、哲学者で、フランスを代表する知性のひとり。彼が演じた大統領のモデルであるフランソワ・ミッテランは1981年から1995年まで2期14年間大統領職を務めた政治家で96年に79歳で死去。死後に主治医が出版した本によれば、前立腺癌の治療を続けながら大統領職を務めていたそうで、特に2期目の終盤はかなり病状が進行していたと言われる。ダニエル・マゼ=デルプーシュが料理人を務めた時期は、おそらく自由に食事ができた最後の機会だっただろう。次第に病状が進行すると、食事制限が厳しくなっていくが、大統領の健康状態は極秘にされており、上からの指示で思うように料理が作れなくなったマゼ=デルプーシュが辞任の道を選ぶという成り行きになるのは、必ずしも官邸の官僚主義だけが原因ではなかった。

 この映画のもう1つの見どころはオルタンスの作る美味しそうな料理の数々。ベリゴール地方の名産といえばトリュフとフォワグラ。これを生かす料理は、こってり系の伝統料理に決まっている。つまり大統領が食べたがったのは、厨房に備えられていたスチームオーヴンや減圧加熱調理器を使って作る流行のヌーヴェル・キュイジーヌとは正反対の“おばあちゃんの味”であり、それにはオルタンス以上に適任のシェフはいなかった。

 大統領官邸の厨房で男に囲まれながら官僚主義と勇敢に戦い、最高の料理が出せないとわかれば躊躇なく官邸を辞め、南極へ向かう。その潔さと、どんな状況でも最高の料理を作ろうとする彼女のプロ意識の高さには脱帽する。見ていて気持ちよく、見終わって励まされる素敵な映画である。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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