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映画の処方箋

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『オール・イズ・ロスト〜最後の手紙〜』2015/09/11 UP 放送日時

絶対に諦めない男の海洋サバイバル

 海を舞台にした映画というと、『フック』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』のような海賊が登場して宝物を奪い合う冒険もの、『ジョーズ』のようなパニックもの、『タイタニック』を代表とする海難ものがある。『オール・イズ・ロスト〜最後の手紙〜』はヨットを舞台にした海難映画だが、千人以上の犠牲者を出したタイタニック号とは違って主人公はたった一人。だが、小さな事故が次第に手の施しようがなくなっていく恐ろしさと、洋上での孤独な男の戦いにはタイタニック以上の緊迫感がある。ちなみに、題名のオール・イズ・ロストとは“万事休す”、“もはやこれまで”という意味だ。

 スマトラ海峡から1700海里(3150Km)離れたインド洋のまっただ中。ヨットで単独航海中の男(ロバート・レッドフォード)が、ある朝目覚めると、どこからか流れてきたコンテナーが舷側にぶつかり、空いた穴から入ってきた海水で航行システムと無線、パソコンがダメになっていた。男はコンテナーを引き離し、手動で船内の海水を排水し、穴を補修し、とりあえずは航行可能なまでに立て直すが、そこに暴風雨が襲いかかり、ヨットはマストが折れて航行不能になってしまう。男は救命ボートに脱出し、非常食で食いつなぎながら、六分儀で位置を知り、航路に流れついたところで通りかかった船に拾ってもらおうとするが…。

 主人公はロバート・レッドフォード演じる名前のない男たった一人。なので会話はほとんどない。ただヨットがコンテナーに衝突するところから、ヨットを放棄し、救命ボートでのサバイバルになる過程を淡々と描いていく。その描き方の丁寧さが凄い。『タイタニック』のような海難事故の場合は、沈む船からいかに逃げるかの描写が中心になるが、『オール・イズ・ロスト』は、いかに逃げ出さずに対処するかが中心になる。ヨットマンなら男の行動の意味がよくわかるだろう。残念ながら私はまったく詳しくないのだけれど、ヨットの応急処置や手当の仕方がこんなに沢山あることに驚く。それだけ男がヨットの構造をよく知る、有能なヨットマンだということだろうし、“オール・イズ・ロスト”という題名に違わず、できることはすべてやり、“万策尽きる”までを徹底して描いている。

 レッドフォードが凄いのは、この絶対に諦めない男の意志の強さと絶望感を、表情のちょっとした変化だけで見せるところだ。彼の存在感だけで成立している映画なのに、この演技でアカデミー主演男優賞にノミネートされなかったのがウソみたいだ。レッドフォード本人は“気にもしてない”と言っているが、ノミネートされたら初受賞したかもしれないし(監督賞と名誉賞は受賞済みだが、主演男優賞は『スティング』でノミネートされたのみ)、お金をかけて派手なキャンペーンを行わなければノミネートもされないのが今のアカデミー賞だと言えばそれまでだが、いかにも残念だ。

 監督はデビュー作の金融業界を舞台にしたサスペンス映画『マージン・コール』で注目されたJ・C・チャンダー。2011年に『マージン・コール』をプレミア上映したサンダンス映画祭でレッドフォードに出会い、出演を熱烈オファーしたそう。金融業界と海洋は、まったくかけ離れているように見えるが、どちらもシャークが泳ぎまわり、過酷なサバイバルが必要という意味では同じかもしれない。

 『オール・イズ・ロスト〜最後の手紙〜』は、そのまま素直に海洋サバイバル映画として楽しむこともできるが、非常にシンプルなストーリーだから、ちょっとうがった見方もできる。レッドフォード演じる男は、これだけ豪華なヨットを一人で乗り回すくらいだから、社会的に成功した実業家だろうし、映画の冒頭で読み上げる“遺書”(まるで社長が社員に宛てた引退表明みたいだ)からすると、自信家で、かなりワンマン。私がイメージしたのはヴァージン・グループ会長で冒険家のリチャード・ブランソンか、アップル創業者のスティーヴ・ジョブズのような人物だ。そんな有能な成功者が、他人の過失によってダメージを負い、できる限りの対処はするものの、ついには万策尽きて失墜(そして再生)するまでを描いた寓話だ、と。そう思って見ると、映画をさらに重層的に楽しめるだろう。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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