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映画の処方箋

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『衛星生中継!第87回アカデミー賞レッドカーペット』2015/02/27 UP 放送日時

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』圧勝『セッション』大健闘の結果と授賞式の見どころ。

 2月22日夜、ハリウッドのドルビーシアターで開かれた今年のアカデミー賞授賞式。レッドカーペットでは豪華なドレスと宝石に身を包んだスターが続々登場して華やかな映画のお祭りを盛り上げ、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』が作品、監督、脚本、撮影の4部門を制し、今年の顔となって幕を閉じた。

 結果は、ほぼ予想通りで驚きは少なかった。前哨戦でショーレースを引っ張ってきた『6歳のボクが、大人になるまで。』が本命アカデミー賞までに失速し、結果としてパトリシア・アークエットの助演女優賞だけだったのと、昨年のサンダンス映画祭で彗星のように現れたデミアン・チャゼルの『セッション』が、J・K・シモンズの助演男優賞だけでなく、編集、録音を加えて3賞も獲得したのが意外といえば意外。ALSのホーキング博士を演じたエディ・レッドメインの主演男優賞、若年性アルツハイマーのジュリアン・ムーアの主演女優賞、プレビュー公演前日から本公演初日までを1シーン1カットで撮った撮影のエマヌエル・ルベツキの撮影賞は鉄板で、興行成績抜群だった『アメリカン・スナイパー』が音響編集のみで終わったのも、アカデミー会員のリベラル指向を考えれば、言わば想定内だ。

 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に次ぐ受賞なるかと大いに期待された長編アニメ部門の高畑勲の『かぐや姫の物語』、短編アニメ部門の堤大介&ロバート・コンドウの『ダム・キーパー』の日本勢は、それぞれ『ベイマックス』、『愛犬とごちそう』のピクサー勢に敗れた。昨年の『アナと雪の女王』がディズニー本体の制作だったので、今年はピクサーが巻き返すだろうという、これまた予想通りの結果。今年アカデミー名誉賞を受賞した宮崎監督と並んでアメリカでもアニメ関係者から大きな尊敬を集める高畑監督だが、投票するアカデミー会員は特にアニメにこだわりを持っているわけではないので、これは仕方がないだろう。

 昨年、会場からピザの宅配を頼んだり、候補者たちとセルフィーを撮ってツイッターにアップしたりの自由すぎる司会ぶりが話題になったエレン・デジェネレスに代わって、今年の司会を務めたのはニール・パトリック・スミス。テレビ・シリーズ<天才少年ドギー・ハウザー>で有名な、数々のミュージカルや映画出演で知られる“歌って踊ってマジックも出来る”スターで、『ゴーン・ガール』ではロザムンド・パイクの元恋人役を演じていた。芸達者なうえに、すでにエミー賞やトニー賞の司会も務めているので安定感抜群。『イントゥ・ザ・ウッズ』のシンデレラに扮したアナ・ケンドリックにジャック・ブラックを加えた3人でのミュージカル風のオープニング・アクトも楽しかったし、途中で白いブリーフ1枚の裸になって舞台に登場してみせたのも(もちろん『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のパロディだ)面白い演出だった。

 今年は候補者が白人一色になって問題になったが、そのバランスをとる意味でか、イドリス・エルバ、テレンス・ハワード、エディ・マーフィといった黒人俳優がいつもより多めにプレゼンターに登場。何よりも、歌曲賞にノミネートされた『セルマ(原題)』の主題歌<グローリー>のパフォーマンスが圧巻で、客席で涙を流して聞いていたデヴィッド・オイエロウの姿が忘れられないし、コモン&ジョン・レジェンドの黒人差別に言及した受賞スピーチも素晴らしかった。

 追悼トリビュートでのジェニファー・ハドソンの<I Can’t Let Go>熱唱も聞きごたえがあったし、『サウンド・オブ・ミュージック』誕生50年記念でレディ・ガガがメドレーを歌い上げ、ジュリー・アンドリュースとハグする姿には映画ファンとして胸が熱くなったし、受賞者のスピーチも、それぞれ心のこもったものだったし、結果に意外性は少なかったが、見どころはいっぱいの授賞式だった。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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