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映画の処方箋

何気なく観ていたアノ映画も、知れば「なるほど!」映画評論家 斎藤敦子が
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『落下の王国』2011/06/24 UP 放送日時

世界一のアマチュアによる絢爛豪華な映像コレクション

映画監督は、初めは誰もがアマチュアだった。それが映画を職業とするようになると、映画を商品と考えるか、作品と考えるかで職人型(いわゆるアルチザン)と芸術家型(いわゆるアーティスト)に分かれ、さらに資本主義の度合いによってプロ型とアマチュア型に分かれていく。例えば、この夏の話題作『スーパー8』は、8ミリで映画を撮っていた少年達が撮影中に驚くべき事件を目撃してしまうという冒険映画だが、寝食を忘れて映画作りに励む少年達は、まさに監督のJ・J・エイブラムズと製作のスピルバーグの少年時代を彷彿とさせる。しかし、成長した映画少年は、職人型のプロ(エイブラムズ)と職人型のアマ(スピルバーグ)に分かれていく(スピルバーグ作品には天性のアマチュアイズムが感じられる)。成功した監督ほど、職人型のプロになるように思われる。
 
では、『落下の王国』のターセムはどのカテゴリーの監督かと言うと、アルチザンかアーティストかは別として、とびきりのアマチュアだと私は思う(下手だという意味ではない)。実はターセム(本名ターセム・シン)の本職はナイキやペプシのCMで知られる映像作家であって、映画監督ではない。なぜなら今年の秋公開の『インモータルズ』まで含めて、監督作はわずかに3本。50歳で3本では職業として採算が全然とれてないだろう。<ロスト>や<フリンジ>などのTVシリーズの製作でもバリバリ稼いでいるエイブラムズとは大違いだ。けれども、構想に26年、さらに撮影に4年もかけた『落下の王国』は、ハリウッドの映画作りでは絶対に製作不可能な、アマチュアイズムの傑作であると私は思う。
 
原題はザ・フォール、“落ちること”である。これは主人公が映画のスタントマンで、馬から落ちたり、悪漢に殴られて倒れたりするのを職業としていることを意味しており、映画は“落ちること”をモチーフにして進んでいく。
 
舞台は1912年のロサンゼルス。スタントマンのロイ(リー・ペイス)は撮影中の事故(馬と共に鉄橋から川に落ちる冒頭の場面)で大怪我を負い、病院のベッドで寝たきりになる。おりから失恋も重なり、自暴自棄になっている彼の病室に、オレンジ摘みの作業を手伝っているときに、木から落ちて腕を折った移民の少女アレクサンドリア(カティンカ・ウンタルー)が迷い込んでくる。ロイは、アレクサンドリアを相手におしゃべりするうちに、自分の作ったお伽話を聞かせて彼女の心を掴み、動けない自分の代わりに、彼女にあることをさせようと思いつく…。
 
映画の見所は、ロイが作り出すお伽話にある。アレクサンドリアとの話に出てくる人物や、病院での出来事、周囲の物をどんどん取り入れ、話をふくらませていく(これはターセムとロイ役のリー・ペイスが、実際にカティンカと話をしながら脚本を練り上げていった作業と重なる)。中心となるのは主人公の山賊が、囚われの姫君を取り戻すために、6人の勇者と共に悪漢オウディアス総督と闘う、というストーリーだ。ロイ自身が山賊に、看護婦のエヴリンが姫君に、ロイの恋敵の俳優が総督になり、ロイのスタント仲間や、オレンジ農園で一緒に働いていた労働者が山賊を助ける勇者となる。さらには、絶体絶命の危機に陥った海賊を助けるために、アレクサンドリア自身が少女山賊となってお伽話の中に飛び込んでいく。
 
このファンタジーの映像化にターセムは驚異のテクニックを発揮した。撮影になぜ4年もかかったかというと、もちろん13カ所の世界遺産を含む24カ国のロケ(主としてターセムの故郷インドの名所旧跡)に時間がかかったこともあるが、実はその大半をターセムが“仕事の片手間に”撮影したから、なのである。しかも、製作費を節約するため、CM撮影で雇ったスタッフに頼んで(ノーギャラで)、本来の仕事の後で、少しずつ撮り溜めたものだ。したがって出演者も、いつになるかわからない撮影の都合に合わせられる、暇の多い人が選ばれた(後に<プッシング・デイジー>で有名になるリー・ペイスは、撮影当時ほとんど無名だった)。まさに究極のアマチュアイズム、“趣味の映画作り”ではないだろうか。しかし、こうして撮りあげられた映像は、石岡瑛子デザインのすばらしい衣装と相まって、惚れ惚れするほどファンタスティック、絢爛豪華な映像のパッチワークなのだ。作り手が心を込めて1針1針刺したキルトに値段がつけられないように、ターセムの映像にも値段がつけられない。まるで奇跡のような作品である。
 
もう一つ私が大好きなのは、この映画のエンディングである。すべてのお伽話が“めでたしめでたし”で終わるように、次第に暗さを増すロイの作り話が、アレクサンドリアの純真無垢な心に動かされ、ハッピーエンドに変わっていく。そして最後に…。いや、この後は映画を見てのお楽しみに。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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