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映画の処方箋

何気なく観ていたアノ映画も、知れば「なるほど!」映画評論家 斎藤敦子が
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『幸せのレシピ』2011/04/01 UP 放送日時

美味しい料理をめぐる、男女の恋と厨房の戦い。

昔は“男子厨房に入らず”と言い、男は台所になぞ足を踏み入れてはならない(料理なんか男のすることではない)とされた。出典は孟子の“君子は厨房を遠ざく”で、孟子様自身は男とは言っていないのだが、江戸時代あたりに、男達に都合のいいように書きかえられたらしい。だが、時代が下るにつれ、男と女は平等になり、男女間の“台所の壁”もどんどん薄くなっていった。今では<dancyu>という名の雑誌もあるくらい、台所における男女格差は(少なくとも意識の上では)限りなくゼロに近づいている。
ところが、これがプロの仕事場となると話は別だ。レストランの厨房は、昔も今も男性社会。女性の入り込める隙間など、昔はまったくなかったし、今でもわずか。そんな隙間をこじ開け、中に飛び込み、数々の試練をくぐりぬけて一人前になった女性シェフは、男性以上の才能とガッツを備えたスーパーシェフだと私は思う。
 
 『幸せのレシピ』の主人公ケイト(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)もまた、そんな数々の試練に耐え、今ではニューヨークの有名フレンチ・レストランの厨房を取り仕切るスーパーシェフの一人。何でも完璧な彼女だが、1つだけ欠点がある。それは、完璧でないものを受け入れられないこと。彼女の完璧な料理に文句をつけるお客と喧嘩腰でやりあうので、オーナーのポーラ(パトリシア・クラークソン)からセラピーを受けるよう命令されている。そんな彼女が、再び試練を受けるはめになる。私生活では事故死した姉の遺児ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)の面倒をみることになり、同時に仕事場でも、右腕の女性コックが出産準備に入るため、有名イタリア料理店に務めていたニック(アーロン・エッカート)を副料理長として受け入れざるをえなくなったのだ。突然母親を失った悲しみが癒えない幼い姪と、破天荒でイタリアンな副料理長。手強い二人の相手をするうちに、ケイトが固く守ってきた砦が内側から崩れていき、かたくなな心が開かれ、ケイト自身が変化し、成長していく、というのが『幸せのレシピ』のストーリーである。
 
 ご存じの通り、『幸せのレシピ』は2001年のドイツ映画『マーサの幸せレシピ』のリメイクである。監督のスコット・ヒックスはオリジナル版のファンだったらしく、プロットのほとんどはオリジナル版を踏襲している。が、それにもかかわらず、映画の手触りがとてもなめらかで、軽くなっている。それはオリジナル版では強烈に主張していたドイツとイタリアのお国柄などの夾雑物が、設定をアメリカに移すことで削ぎ落とされ、映画の面白さがシンプル化された成果だろう。もちろん、キャサリン・ゼタ・ジョーンズとアーロン・エッカートという主演2人のキャラに負うところも大きいが、ヒックスの無駄のない、テンポのよい演出で、スルスルと映画の中に引き込まれてしまう。さすが『シャイン』でアカデミー賞監督賞にノミネートされた人である。
 
もう1つ見逃せない(聞き逃せない)のはフィリップ・グラスの音楽である。グラスは名にし負う現代音楽の巨匠だが、映画音楽も多く手がけている。ミニマルな音使いに特徴があるので、聴けばすぐわかるが、私が注目(耳)したのはオペラのアリアがとても効果的に使われているところだ。例えば、ニックが厨房に持ち込んだCDラジカセから流れる<トゥーランドット>のアリア“誰も寝てはならぬ”。荒川静香のイナバウアーで一躍有名になった曲だが、元となったオペラは、絶世の美女トゥーランドット姫に一目惚れした放浪の王が、知恵によって氷のような姫の心を溶かし、愛が勝利するという物語で、まさにケイトとニックにぴったり。また、二人が結ばれた後で<ジャンニ・スキッキ>のアリア“私のお父さん”が流れるところなども、歌詞を知っていると思わずニヤリとする。
 
『幸せのレシピ』には美味しそうな料理が次々に登場するが、1つだけ私が勝てそうな料理がある。それが、ニックがゾーイに初めて食べさせるトマトソースのスパゲティだ。ご存じのように、パスタはゆでたてを食べるのが基本だが、撮影現場では、ゆであがりと本番のタイミングを合わせるのは至難の業。したがって画面に登場するスパゲティは常にのびた状態になる。これは『マーサの幸せレシピ』で名優セルジョ・カステリットが作ったパスタも例外ではない。イタリア料理は家庭料理が基本だし、簡単なパスタならキッチンタイマーさえあれば誰でも美味しく作れるので、映画を見た後で、映画より美味しいスパゲティ・ポモドーロを作って食べるのも楽しいかも。もちろん、殿方もご遠慮なく厨房へどうぞ。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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