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映画の処方箋

何気なく観ていたアノ映画も、知れば「なるほど!」映画評論家 斎藤敦子が
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『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』2018/05/18 UP 放送日時

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熟年夫婦が住みなれた我が家を売りに出すとき

 我々日本人にとっては、ニューヨークに住むなんて夢のようないい話に思えるが、ニューヨークに普通に住んでいる人には夢とばかりは言っていられないだろう。『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』は、そんな夢の我が家を手放そうとする夫婦が直面した、てんやわんやの現実を描いた映画だ。

 画家のアレックス(モーガン・フリーマン)と元教師のルース(ダイアン・キートン)は、黒人と白人の結婚がまだ白眼視されていた時代に結婚し、様々な困難を二人で乗り越えてきた仲むつまじい夫婦。ブルックリンのアパートの5階に住んでいるが、老いて足腰が弱ってきた夫を心配し、妻はエレベーター付きのアパートに買い換えようと提案する。不動産業をやっている姪のリリー(シンシア・ニクソン)があれこれ世話を焼いてくれ、新聞に広告を出して、いよいよオープンハウスを開くことになる。下見にやってきた人々に我が家をあれこれ評価されるうちに、この家に住んだ40年の歳月が蘇ってきて…。

 監督のリチャード・ロンクレインは46年イギリス生まれ。30年代のイギリスに時代を移したイアン・マッケラン主演の『リチャード三世』や、キルステン・ダンストとポール・ベタニーが恋に落ちるテニス選手を演じた『ウィンブルドン』などで知られる。原題の“5 Flights Up”とは“5階上”(flightは階と階との間の階段のこと)という意味。

 主演はアカデミー賞ノミネート5回、助演男優賞受賞の名優モーガン・フリーマンと、魅力的な熟年女性を演じたら右に出る者のいないダイアン・キートン。姪のリリーを演じたのは『セックス・アンド・ザ・シティ』のミランダ役で有名な舞台女優のシンシア・ニクソンである。

 年老いて、それまで慣れ親しんだ家を離れなければならないときは誰にでも来るだろう。映画の主人公であるカーヴァー夫妻は、病気で入院するとか、施設に移るとかいう切実な理由ではなく、夫の足腰が弱ってきたからという、比較的余裕のある理由で引っ越しを考え始める。老いと死を象徴するのは彼らの愛犬であって、彼ら自身ではないところが甘いと言えば甘い。でも、この映画の目的は老いの現実を描くことではなく、長年助け合いながら生きてきて、今、人生の秋を迎えた夫婦の円熟の時間を描くことにある。死は間近に迫ってきたものの、まだしばらくはこのまま生活を続けられる余裕がある、そんなゆとりが映画の持ち味でもある。

 だから、悲惨な事件や腹黒い悪人は出てこない。せいぜい「あなたの絵は時代遅れだ」と悪態をつく画商の息子くらい。エレベーター無しとはいえ、住み心地よく整えられたアパートには家庭菜園を楽しめる屋上もついているし、中古なのに100万ドル近い値段で取引できる(ただし、エレベーター付きのアパートを買うには同額かそれ以上のお金が必要なのだが)。マンションが中古になると買った値段の何分の1、いや何十分の1になってしまう日本に比べれば羨ましい話だ。だが、たかが映画なのだから、甘すぎるとか、ありえないなどと無粋なことは言わずに、カーヴァー夫妻の気持ちになって、ブルックリンのうららかな日差しを楽しめばいい。そんな余白の時間の貴重さを描いた映画である。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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