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映画の処方箋

何気なく観ていたアノ映画も、知れば「なるほど!」映画評論家 斎藤敦子が
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『偽りなき者』2018/11/16 UP 放送日時

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才人ヴィンターベアが察知した危険な時代の空気

 恐い映画である。ちょっと嫌な映画でもある。そして、今、世界が向かっている危険な時代を警告する、炭坑のカナリアのような映画でもある。

 主人公は妻と離婚し、幼稚園の保育士の仕事を始めた元教師ルーカス(マッツ・ミケルセン)。妻が息子を連れて家を出たので、今は独りだが、生まれ育った町で、幼なじみの友人達に囲まれて暮らしている。この地域には狩りをする習慣があって、父から息子へ代々受け継がれている。そんなある日、隣家に住む親友テオ(トマス・ボー・ラーセン)の娘クララ(アニタ・ヴィタコプ)が、幼い恋心を抱いたルーカスにプレゼントを返されたことから、意趣返しのためについた小さな嘘が、ルーカスが変質者だという噂となって町に広がり、ついにはスーパーで買い物さえ出来なくなるなど、ルーカスを完全に孤立させてしまう。無実の証明が不可能な中、ルーカスは孤独な戦いを続けるのだが…。

 子供のついた嘘が大人を窮地に追い込むといえば、すぐオードリー・ヘプバーンとシャーリー・マクレーン共演の『噂の二人』を連想するだろう。リリアン・ヘルマンが34年に発表した戯曲<子供の時間>の映画化で、寄宿学校を経営する女教師二人が、生徒から同性愛の噂を立てられて窮地に追い込まれる。『噂の二人』は61年の作品だが、監督のウィリアム・ワイラーは36年にも同じ戯曲を映画化していて(邦題『この三人』)、ワイラーほどの名匠がなぜ同じテーマを2度も映画化したのか、その理由を考えているうちに、ふいに、『偽りなき者』、『噂の二人』、『この三人』の3作を繋ぐテーマが見えてきた。つまり、『偽りなき者』は変質者、『噂の二人』は同性愛、『この三人』は不道徳な関係という、それぞれ違った醜聞で主人公が窮地に追い込まれるのだが、主人公が社会から孤立するという構造が同じなのだ。

 作品の背景を見ると、リリアン・ヘルマンが戯曲を発表した34年はヒトラーが総統に就任した年、『この三人』が公開された36年は日本で二・二六事件が起き、ベルリン・オリンピックが開かれた年、『噂の二人』の61年は、マッカーシーによる赤狩りが終焉して数年後である。これまでワイラーが<子供の時間>を二度も映画化したのは、『この三人』では、はっきり描けなかった同性愛のテーマをもっときちんと描きたかったのだと言われてきたが、実は同性愛ではなくて、時代の空気ではなかったろうか。『この三人』はヒトラーが台頭し、世界が戦争に向かう全体主義の時代、『噂の二人』は密告が奨励された赤狩りの時代。ヘルマンもワイラーもユダヤ系で、左翼的な思想を持ち、2つの時代を生き抜いた人である。

 では、『偽りなき者』はどうか。舞台となるデンマークの小さなコミュニティは、代々続く狩りの伝統と緊密な人間関係で成り立っている。一見平和な社会だが、根も葉もない噂によって一転し、たちまち無実の男に敵意をむきだしにする。この映画を最初に見たのは12年のカンヌ映画祭で、そのときは親友さえも簡単に嘘を信じて敵に回ってしまうところに違和感を覚えたのだが、今回見直してみて、その恐さこそヴィンターベアが描きたかったことなだと思い至った。ちなみに、『偽りなき者』は、隣国スウェーデンで連続テロ事件が起きて世界を震撼させたのと同時期に製作された(東日本大震災が起きた年だ)。そして、このことを踏まえてエピローグを見ると、ヴィンターベアの冷徹な社会観察眼に背筋の凍る思いがするだろう。嘘が判明し、汚名は晴れても、社会は変わるどころか、そのまま引き継がれていくのだ、と。

 主演のマッツ・ミケルセンは65年コペンハーゲン生まれ。ニコラス・ウィンディング・レフン監督の出世作『プッシャー』で麻薬密売人を演じて注目され、スザンネ・ビアの『しあわせな孤独』などに出演。ダニエル・クレイグ版007の1作目『007/カジノ・ロワイヤル』で敵役ル・シッフルを演じて国際的な名声を確立。他に、TVシリーズ<ハンニバル>のハンニバル・レクター博士、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のゲイリン・アーソ、『ドクター・ストレンジ』のカエシリウスなど。男の色気とカリスマ性で女性ファンも多い。『偽りなき者』でカンヌ映画祭最優秀男優賞を受賞。デンマークを代表する大スターである。

斎藤敦子

ライター 斎藤敦子

映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部勤務を経てフリー。「サウルの息子」、「スポットライト 世紀のスクープ」などの字幕翻訳、「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。

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