映画の処方箋

Vol.185

『複製された男』

自分と瓜二つの男がかきたてる、人間の隠された欲望

 『複製された男』は、ちょっと不気味なスリラーである。原作はポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説。小説の原題は“ダブル”、映画の原題は“エネミー(敵)”といい、複製というのは日本語訳だけに使われている言葉であり、SFものではまったくないので注意を。

 主人公は気弱な大学の助教授アダム(ジェイク・ギレンホール)。彼にはメアリー(メラニー・ロラン)という美しい恋人がいるが、最近は倦怠気味である。そんなときに同僚に薦められたカナダ映画のビデオを借りて見ると、そこに自分に瓜二つの俳優がいた。彼は本名をアンソニー・クレア(ジェイク・ギレンホール二役)という売れない俳優で、姿も声も生年月日もアダムと同じだった。不安にかられたアダムはアンソニーに電話を掛けて直接会おうと提案する。アンソニーの方もアダムを調査し、大学の教師であることを知るが、夫の浮気を疑っていた妻ヘレン(サラ・ガドン)もまたアダムの存在を知ってしまう。

 見る人によって、さまざまな解釈が成り立つ映画である。はたして双子でもないのに生年月日も同じ、瓜二つの人物が存在するだろうか、という疑問は、この映画の謎を解く1つの鍵となる。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは原作を離れ、独自のテーマでこの映画を作った。ゆえに映画にちりばめられた謎には彼なりの答えがあるのだが、正しい答えにたどりつくことより、見る人が自分なりの解釈をして、それを楽しむというのが一番正しい楽しみ方だと私は思う。映画の中にたびたび登場する蜘蛛のイメージは、おそらく男の性的欲望の暗喩と思われるが、それを含めて、最後のあっと驚くラストシーンまで、映画は不条理なまま、どんどん進んでいく。が、語り口にゆるぎがなく、映像に力があるので、不安をかきたてられつつも次第に映画に引きこまれていってしまうだろう。

 『複製された男』が素晴らしいのは上映時間の長さにもある。説明過多で2時間を超える映画が多いなか、90分という長さ(短さ)に1瞬の無駄も緩みがなく、作品のテーマも個性的だが、サスペンスの盛り上げ方も、結末のつけ方も見事である。

 監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは1967年カナダのケベック州トロワ・リヴィエール生まれ。98年に長編デビュー作『地上の8月32日(原題)』がカンヌ映画祭ある視点部門で上映され、注目を集める。誘拐された娘を取り戻すために一線を踏み越える父親を描いた『プリズナーズ』でハリウッド・デビューし、メキシコの麻薬カルテル撲滅のためなら手段を選ばない特殊部隊の活躍を描いた最新作『ボーダーライン』が昨年カンヌ映画祭コンペティション部門に正式出品されたカナダの新鋭である。

 主演は『プリズナーズ』で刑事を演じていたジェイク・ギレンホール。近年は演技にますます磨きがかかり、『ナイトクローラー』のパパラッチに変貌していく男の薄気味悪さは出色。最新作アントワン・フークアの『サウスポー』では、どん底から復活するボクサーを半年のトレーニングを経てスタントなしで演じている。

 映画を見てすっきりしたい人にはお薦めできないが、近ごろ軽い映画ばかりで物足りないという人は必見。見終わるともう1度ディテールを見返して、自分の解釈が正しいかどうか確認したくなる、後を引く映画である。

ライター 斎藤敦子のプロフィール

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