映画の処方箋

Vol.152

『いまを生きる』

追悼ロビン・ウィリアムズ(1951−2014)

昨年は高倉健と菅原文太という日本映画を代表する名優が物故した年だったが、ハリウッドでもロビン・ウィリアムズとフィリップ・シーモア・ホフマンという名優が世を去った悲しい年だった。高倉健と菅原文太の場合は、ある程度予測のできる“自然な死”に近かったと思うが、ウィリアムズとホフマンの場合はあまりにも突然で、“非業の死”という印象が強い。新年はまず不世出のコメディアン、ロビン・ウィリアムズを追悼し、彼が熱血教師を演じた『いまを生きる』を紹介し、優れた俳優でもあった彼の姿を偲びたい。

 『いまを生きる』の舞台はバーモントの全寮制の名門校ウォルトン・アカデミー。1959年の秋、新学期を迎えた学院に二人の新顔が加わる。一人はトッド(イーサン・ホーク)という内気な転校生、もう一人はジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)という新任の英語教師だ。キーティングは最初の授業で教科書を破り捨てろと言い、生徒たちを学院のホールに連れていき、昔の生徒たちの写真を見せ、青春を謳歌しろと言い、Carpe Diem(いまを生きろ)というラテン語を教える。厳格な父親(カートウッド・スミス)に反抗できない優等生のニール(ロバート・ショーン・レオナード)は、そんなキーティングに魅了され、仲間を誘ってキーティングが学生時代に作っていた“死せる詩人の会”(Dead Poets Society=映画の原題)というクラブを復活させる。ウォルト・ホイットマンの詩をひいて自分を“オー・キャプテン、マイ・キャプテン”と呼ばせたり、生徒を机の上に立たせ、物事を違った方向から見ることの大切さを教えるキーティングの型破りな授業に、伝統と規律を何より重んじるノーラン校長(ノーマン・ロイド)は眉をひそめる。やがて、クリスマスの日、秘かに俳優を志していたニールが、父親に無断で『真夏の夜の夢』の舞台に立ったことが思わぬ事件を引き起こし、キーティングの責任問題に発展してしまう…。

 監督は名匠ピーター・ウィアー。『刑事ジョン・ブック/目撃者』、『モスキート・コースト』という、ジャンルに収まらない、ちょっと捻ったテイストの作品が続いた後で、学園ものというストレートなジャンルに挑戦し、正攻法に描いてみせたのが本作。ベタな感傷には陥らず、さらっと品のよい感動作に仕上げているところはさすがである。

 見どころの1つは、『ビフォア・ミッドナイト』や『6歳のボクが、大人になるまで。』で父親を演じたイーサン・ホークや、TVシリーズ『Dr.HOUSE ―ドクター・ハウス―』の内科医で注目されたロバート・ショーン・レオナードの若き日の姿。生徒役の少年たちのほとんどは今も現役の俳優を続けているようだが、私が最も好きな生徒キャラ、“ヌワンダ”を演じたゲイル・ハンセンは、映画同様、俳優業をドロップアウトし、現在はプロデューサーに転身している。

 ロビン・ウィリアムズは『いまを生きる』のキーティングの他にも、『レナードの朝』の昏睡状態のロバート・デ・ニーロを目覚めさせる医師、『グッド・ウィル・ハンティング』の素行の悪いマット・デーモンを治療するセラピスト、『パッチ・アダムス』のユーモアを治療に取り入れた医師といった、人を癒やす役柄を多く演じている。純真で誠実でユーモアとサービス精神の固まりのような彼が自分の教師や医師であったらどんなにいいだろうと誰しも思う。けれども、ロビン・ウィリアムズにはロビン・ウィリアムズがいない。最高のヒーラーを癒やしてくれるヒーラーはいないのだ。自殺の報を聞いたときに、まず最初に思ったのはそのことだった。もう彼の新作が見られないと思うと悲しいが、もう誰を気にすることもなく、ひとり静かに眠っていられるのだと思うことにしよう、彼のために。RIP。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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