映画の処方箋

Vol.139

『死亡遊戯』

ブルース・リー伝説と『死亡遊戯』

 ブルース・リーほど後世の映画に影響を与え、多くの伝説を残したスターはいないだろう。当時、映画を見た男子は(一部女子も)みな“アチョー”という奇声(怪鳥音と呼ばれる)を発して動きをマネしたり、ヌンチャクを振り回して怪我したりしたものだ。日本で彼の映画が公開されたのは『燃えよドラゴン』からだが、73年12月の公開前に本人が謎の死をとげ(共演予定の女優ティン・ペイ宅で頭痛薬を飲み、昏睡状態から死に至った。死因はいまだに不明)、登場から伝説に包まれていた。7月20日が彼の命日で、生きていたら今年で74歳になる。32歳での突然の夭逝だった。

 遺作『死亡遊戯』は、リー自身の監督作として企画されたもので、クライマックスの五重塔での格闘シーンを先に撮影したところで『燃えよドラゴン』の撮影に入り、いったん中断。彼の死後、遺されたフッテージを使って『燃えよドラゴン』の監督ロバート・クローズが完成したものだ。したがって当初リー本人が構想していたものとは違うし(オリジナルは大串利一監督の『BRUCE LEE in G.O.D 死亡的遊戯』に詳しい)、代役や他作品の出演場面をおりまぜて作ってあるので、1本の作品として見ると無理があるし、おかしなところも多いが、単なる映画を超えた価値があるのだ。

 ブルース・リーは俳優の子として1940年(辰年)に父親の巡業先のアメリカで生まれた(母親がドイツとのハーフなので、リーはクォーターである)。生後3か月で映画初出演、戦後、香港に戻って子役として活躍という生まれながらの俳優だった。武道家としての道は少年時代に葉問(イップ・マン)の下で中国武術の詠春拳を学んだことに始まる。不良息子の将来を心配した父親に命じられ、18歳で単身渡米。大学に通いながら中国武術の指導を始め、道場を開設し、截拳道(ジークンドー)を創始した(このときリンダ・エメリーと結婚し一男一女を設けた)。この頃、空手選手権で披露した詠春拳の演武を見たハリウッドのプロデューサーがテレビシリーズ『グリーン・ホーネット』の運転手カトー役に抜擢。その後、テレビシリーズ『燃えよカンフー』を企画し、自ら主演しようとするが実現せず、香港に戻ってショー・ブラザーズから独立したレイモンド・チョウが創設したゴールデン・ハーベストと主演契約。その1作目の『ドラゴン危機一発』が記録的な大ヒットとなり、一躍香港のトップスターになるも、4本のドラゴン映画を残して急死、というのが、リーの太くて短い人生のあらましである。

 クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』には、ブルース・リーへのオマージュがたくさん含まれている。その最たるものが青葉屋へ殴り込むユマ・サーマンの着ている黄色いトラックスーツで、もちろん『死亡遊戯』でリーが着ていたものだ。彼女を迎えうつクレイジー88軍団の黒いマスクは、『グリーン・ホーネット』の日系人運転手カトーがつけていたもの。ビルを演じたデヴィッド・キャラダインは、リーが企画した『燃えよカンフー』に、リーに替わって主演した人である。

 没後40年あまりたって、なおも強烈な影響を残すリーの魅力とは何か。そのエッセンスのすべてが『死亡遊戯』のクライマックスに詰まっている。クローズ版は、国際シンジケートを率いる悪漢ドクター・ランドに終身契約を迫られて拒否し、命を狙われたリーが本拠地に乗り込んで復讐する、というのがあらすじで、この本拠地の“五重塔”で3人の格闘家と対決する。1層目(虎殿)が、リーの弟子でフィリピン棒術の達人ダニー・イノサント。イノサントはリーの死後、截拳道の後継者となった。2層目(龍殿)が合気道(ハプキドー)という韓国武道の達人、池漢載(チ・ハンチェ)、3層目が撮影当時ミルウォーキー・バックスに在籍していたバスケットの名選手カリーム・アブドゥル=ジャバー。カリームはリーの弟子でもあり、2m18cmのカリームと1m70cmそこそこ(諸説あり)のリーとの対決は、技としては前の2人に劣るものの、見ていて面白いし、リーが映画の見せ方を熟知していたことがはっきり見てとれる。その無駄のない、華麗な身のこなし、豊かな表情(さすが生まれながらの俳優)、これ以上の逸材はもう出ないだろうと思わせる伝説の名場面で、映画ファン格闘技ファンは必見である。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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