映画の処方箋

Vol.138

『マルコヴィッチの穴』

もしも15分間だけジョン・マルコヴィッチになれたら?

 もしも俳優ジョン・マルコヴィッチの脳に入って彼の人生を体験できたら? 『マルコヴィッチの穴』は、そんな奇想天外な発想から生まれた映画である。監督は人と人工知能を備えたコンピューターOSとの恋という、これまた奇想天外な『her/世界でひとつの彼女』が公開間近なスパイク・ジョーンズ。

 売れない人形師のクレイグ(ジョン・キューザック)は、ペットショップで働く妻のロッテ(キャメロン・ディアス)にうながされ、ニューヨーク11番街のビルの7と1/2階にある不思議な会社で働くことになる。ある日クレイグは、キャビネットの裏に不思議な穴があることを発見。その穴が俳優マルコヴィッチの脳の中とつながっていることを知り、同じフロアで働くマキシーン(キャサリン・キーナー)と1回200ドルで“マルコヴィッチ体験”を商売にすることを思いつく。話を聞いて試しにマルコヴィッチの穴に入ったロッテは、今まで感じていた違和感が消えたことで自分の性同一性障害を再確認。マルコヴィッチの脳を介して、クレイグ×マキシーン×ロッテの不思議な三角関係が誕生するのだが…。

 『マルコヴィッチの穴』はスパイク・ジョーンズの長編デビュー作であるとともに、脚本家チャーリー・カウフマンを世に知らしめた作品である。この後、カウフマンは『ヒューマンネイチュア』をミッシェル・ゴンドリーに、『コンフェッション』をジョージ・クルーニーに提供し、それぞれの監督デビューに一役買うと共に、その特異な世界を広げていく。

 カウフマンがこだわりを持って描いているのは人間の二面性、つまりはアイデンティティーに関わる問題である。『マルコヴィッチの穴』ではロッテの性同一性障害、『コンフェッション』ではテレビ司会者とCIA工作員という2つの顔を持つチャック・パリス、再びスパイク・ジョーンズと組んだ『アダプテーション』では自分自身の二面性を双子の兄弟として描いてみせる。こうしてカウフマン的世界は、次第に深化&純化していくのだが(その最たる作品が、自身で監督した『脳内ニューヨーク』だろう)、その最初の作品である『マルコヴィッチの穴』には他の要素がいい具合に混ざり込んでいて、テーマ性という意味では純度が落ちるが、映画としては味わいが複雑になって、そこが魅力になっている。実際、何度見ても、よく分からないところがあるし、疑問が残るのだけれど、何度見ても面白く、新たな発見がある。

 これは有名な話だが、映画化に際してカウフマンが最もこだわりを持ったのはジョン・マルコヴィッチの出演だった。マルコヴィッチ自身は送られてきた脚本を気に入ったものの、当初は出演を拒否。何度もアプローチされて、しぶしぶ承諾したという経緯がある。その間、製作を引き受けてくれるプロデューサーを探している際、“マルコヴィッチをトム・クルーズに替えたら”という、今では笑えるオファーもあったそうだ。超トップ・スターでなく、一般人には(タクシー運転手のエピソードのような)何となく見たことのある程度の知名度だが、知る人ぞ知る、ある種のステイタスを感じさせるマルコヴィッチを中心に置いたところがカウフマンの着眼の素晴らしさである。

 出演は、この役のために人形の使い方を習ったジョン・キューザック、美人女優ではない面で勝負したキャメロン・ディアス、インディーズ系映画監督に絶大な人気のあるキャサリン・キーナーら。チャーリー・シーンが本人役で登場する他、ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ダスティン・ホフマン、監督のデヴィッド・フィンチャーやスパイク・ジョーンズ本人もカメオ出演している。こういった仲間感覚の親密さも、ジョーンズ=カウフマン=ゴンドリー映画の特徴かもしれない。

 ちなみに映画のマルコヴィッチの名はジョン・ホレーショ・マルコヴィッチだが、本物のマルコヴィッチのミドルネームはギャヴィンという。つまり、マルコヴィッチは素で出演しているのでなく、自分と似た俳優マルコヴィッチを演じているのである。

もっと見る

ライター 斎藤敦子のプロフィール

前へ次へ

HOMEへ戻る