映画の処方箋

Vol.110

『マッチポイント』

運命の女スカーレット・ヨハンソンの匂い立つ色気。

『マッチポイント』は、主としてニューヨークを拠点に映画を作ってきたウディ・アレンが、初めて国外に出て作った作品で、2005年のカンヌ映画祭でコンペ外 特別招待作品として上映された。

主人公は、野心家の元プロテニス選手クリス・ウィルトン(ジョナサン・リース・マイヤーズ)。キャリアアップを図って、ロンドンの高級会員制テニスクラブでコーチの職を得た彼は、上流階級出身で成功した実業家の息子トム・ヒューイット(マシュー・グード)と知り合い、トムの妹クロエ(エミリー・モーティマー)の心を掴む。純真なクロエの信頼を利用し、家族に取り入っていく彼だが、ヒューイット家の田舎の屋敷で、トムの恋人でアメリカ人の女優の卵ノラ(スカーレット・ヨハンソン)に出会い、魅力の虜になってしまったことから、運命が狂っていく…。

貧しい青年が上流階級の娘と結婚したくて恋人を殺してしまうという物語の骨格は、セオドア・ドライサーの小説<アメリカの悲劇>(51年に映画化された『陽のあたる場所』では、モンゴメリー・クリフトがエリザベス・テイラーと結婚するためにジェリー・ウィンターズを殺す)にそっくりだが、そこにアレンらしいひねりが施されている。主人公のクリスは上流階級の息子トムと知り合い、彼の妹と付き合うことによって着々と出世の階段を昇っていく。ところが、ノラという運命の女に出会ったことで、彼の人生設計に狂いが生じる。アイルランドの貧しい階級出身の彼は、自分が入り込もうとした上流階級の娘ではなく、同じよそ者であり、自分と同じ階級に近い娘の方を愛してしまう。そして、そのことが彼を窮地に陥れるのだが、アレンはクリスが愛を捨ててまで守ろうとしたものの空しさをより強調して描いている。クリスの運命のボールはコートのどちら側に落ちたか。それはラストシーンの彼の表情を見れば明らかで、主人公が死刑になるドライサーの悲劇より、ずっと悲しい結末だと私は思う。

ウディ・アレン映画の面白さは、言葉の1つ1つにまで気を配った台詞と見事な俳優の演出だけでなく、彼らが手にする小道具や出没する場所によって、登場人物の性格を多層的に作り上げているところにある。特にロケ地は重要で、主人公の気分を表現するだけでなく、映画に出て来るレストランや店舗、スポットを紹介すれば、それだけで最新流行のガイドブックが出来てしまうほど。ロンドンを舞台に、オペラやアートをモチーフに使った『マッチポイント』には、<サーチ・ギャラリー>、<テート・モダン>といった美術館や、オペラの殿堂<ロイヤル・オペラハウス>が重要な役割で登場する他、冒頭クリスが面接を受けに行くウェスト・ケンジントンにある由緒あるスポーツクラブ<クイーンズ・クラブ>、クロエの父親の会社が入っている斬新なビル<ガーキン>、新婚のクリスとノラが住む、眺望が見事な<パーラメント・ビュー・アパートメント>や、クリスとトムがWデートする<ブラスリー・マックス>などの有名なレストランが次々に登場し、ロンドン観光案内としても楽しめる。

そして、『マッチポイント』の最大の見所といえば“運命の女”に扮したスカーレット・ヨハンソンの魅力だろう。彼女を大いに気に入ったアレンは、次回作『タロットカード殺人事件』の脚本をたちまち書き上げ、彼女を連続して主演に起用したほど。彼の気の入れようは画面にはっきり現れていて、タイトなブラウスで胸を強調させたり、ラブシーンでジョナサン・リース・マイヤーズに白いTシャツを破かせたり、彼女の色気を引き立たせるために出来る限りの手を打っているのがあっぱれである。この時スカーレット若干21歳。若い女の子大好きなアレンの面目躍如だ。

ちなみに、映画のテーマ曲のように流れるのは、オペラ史上最も有名なテノール歌手の一人、エンリコ・カルーソー(1873-1921)の歌うドニゼッティ作曲のオペラ<愛の妙薬>の中のアリア<人知れぬ涙>である。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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