映画の処方箋

Vol.087

「炎のランナー」

オリンピックにアマチュアイズムが生きていた時代に

いよいよ7月27日に開幕するロンドン大会にちなんで、今月はオリンピックについて考えてみてはいかがだろう?

うってつけの作品がある。内容は知らなくても、ヴァンゲリスのテーマ曲なら誰でも1度は聞いたことがある1981年のアカデミー賞作品賞受賞作、ヒュー・ハドソン監督の『炎のランナー』だ。主人公は1924年のパリ大会で金メダルを獲った2人の英国選手、ハロルド・エイブラハムズ(ベン・クロス)とエリック・リデル(イアン・チャールソン)である。

1919年、ケンブリッジ大学に入学したハロルド・エイブラハムズは、入学早々から700年間破られなかったカレッジ・ダッシュに成功するなど、足の速さで注目を集め、ハードルのアンドリュー・リンゼイ、中距離のオーブリー・モンタギュー、ヘンリー・スタラートと共にケンブリッジ4人組と呼ばれ、将来を嘱望される選手となった。しかし、オリンピックを翌年に控えた1923年の競技会で、スコットランドのエリック・リデルに100m走であっさり敗れてしまう。エイブラハムはサム・マサビーニ(イアン・ホルム)というコーチを雇ってフォームの改善に取り組むが、大学側からプロのコーチを雇うことはアマチュアイズムに反すると抗議を受ける。エイブラハムズがユダヤ人であることも目に見えない差別を生んでいた。一方のリデルは、宣教師としての活動と陸上競技との両立に悩んでいた。走ることに神の恩恵を感じる彼は、パリ大会に出場して思い残すことなく中国へ赴任しようと決意する。エイブラハムズら4人組とリデルは、揃ってオリンピックのイギリス代表に選ばれる。ところが、いざパリに向けて出発する日に、100m走の予選が安息日に当たることが判明する。安息日の活動を禁じるキリスト教の教えを守るためには宣教師のリデルは走ることが出来ない。予選の日程を変更する案は却下され、万事休す。そのとき、リンゼイから400mの出場を譲るという申し出がある。こうしてリデルは走ったことのない400mにぶっつけ本番で挑戦することになる…。

1924年のパリ大会で金メダルを獲得したハロルド・エイブラハムズの100mの記録は10秒8。現在のオリンピック記録は、2008年の北京大会でウサイン・ボルトが出した9秒69である。たった1秒を縮めるためにかかった84年という歳月の間に、スポーツの世界は大きく様変わりした。プロのコーチを雇ってアマチュアイズムに反すると抗議されたエイブラハムズと、プーマのスパイクを脱いでTVカメラに見せるパフォーマンスをしたボルトには、別世界と言えるほどの隔たりがある。いつの間にかオリンピックはアマチュアではなく、プロの世界になっていた。それが良いか悪いかは別だが。昔のアマチュアイズムが貴族階級に支えられた特権であったことは『炎のランナー』が見事に活写している。貴族に変わって、今はスポンサーが優秀な選手に特権を与えている。その違いは小さいようで、実はとても大きい。

『炎のランナー』は、波打ち際を走る選手達を映した印象的なカットで始まり、同じカットで終わる。まったく同じそのカットが、映画を見終わったときに全然違って見えるところがこの映画の力だと私は思う。原題は“炎の戦車”Chariots of fireといい、ウィリアム・ブレイクの詩の1節“ああ雲よ、去れ、我に炎の戦車をもたらせ”から取られている。この詩に曲をつけた<エルサレム>は英国民の愛唱歌となった。ラストのエイブラハムズの葬儀で少年合唱隊が歌っているのがそれである。

最後に『炎のランナー』の出演者達のその後を。エイブラハムズを演じたベン・クロスは現在も俳優として活躍中だが、リデルを演じたイアン・チャールソンは、1990年に40歳でエイズのために亡くなった。また、アメリカ人選手ジャクソン・ショルツ(決勝直前にリデルに手紙を渡す選手)を演じたブラッド・デイヴィスも1991年にエイズで亡くなった。41歳だった。90年代から治療薬が広く浸透し、エイズが死の病ではなくなっていく時期だけに、将来を嘱望された2人の夭折がなおさら惜しまれる。飛ぶ鳥落とす勢いだったプロデューサーのデヴィッド・パットナムの劇的な運命の変転も含めて、歳月の長さに感慨を覚える映画である。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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