映画の処方箋

Vol.080

『紀元前1万年』

エメリッヒ流トンデモ紀元前1万年の旅。

公開されたばかりのウェルナー・ヘルツォークの新作『忘れられた夢の記憶』は1994年に南仏で発見されたショーヴェ洞窟に描かれていた“世界最古の壁画”についてのドキュメンタリーで、それまで世界最古と言われていた1万5千年前のラスコー壁画より倍も古い3万2千年前の壁画から、先史時代の人間が思っていたよりもずっと進んだ文化を持っていたことが分かってくる。近年、発掘探査技術の発達によって、考古学が格段に進歩し、人類の歴史はどんどん過去へ遡れるようになった。1991年にはイタリア・オーストリアにまたがるエッツィ渓谷の氷河で、紀元3300年の男性のミイラが発見され、当時の人間の服装が正確に復元されるなど、刺激的な発見も続いている。そんな最新の人類学的情報を知ってか知らず、なぜかローランド・エメリッヒが『紀元前1万年』の元ネタにしたのは、トンデモ本の烙印を押されたグラハム・ハンコックの<神々の指紋>だった。

<神々の指紋>とは、世界中の遺跡から出土したオーパーツという当時の技術では作ることが不可能な工芸品から、ハンコックが古代の南極大陸に超古代文明を持つ国家があったという説を導き出した本である。が、世界中でベストセラーになった途端に、世界中の学者から“信憑性はなきに等しい”とまで袋だたきにされている。なぜ、そんな本を元ネタにしたのだろう? 私はそこにエメリッヒの活動屋魂を感じた。

<神々の指紋>は、あくまでジャーナリストであるハンコックの想像の産物で、考古学上は正しくなくても、フィクションとしては抜群に面白い。だからこそベストセラーになったのだ。エメリッヒも『紀元前1万年』を製作するにあたって、“人類学的に正しい”映画にするつもりはさらさらなかったに違いない。そんな映画は、“政治的に正しい”表現同様、無味乾燥で、ちっともワクワクしない。面白くなければ映画じゃない。お客に見てもらってこそ映画じゃないか。そんなエメリッヒの声が聞こえてくるような気がする。

『紀元前1万年』の主人公は、マンモスを狩って暮らしているヤガル族の青年デレー(ステイーヴン・ストレイト)である。少年の頃、父が村を出ていったため、村人達からさげすまれてきた彼だが、幼なじみの青い眼の美少女エバレット(カミーラ・ベル)を愛し、妻にしようと思っていた。ところが、“四本脚の悪魔”と呼ばれる青い眼の騎馬集団に村が襲われ、多くの村人達とエバレットがさらわれてしまう。愛する人を取り戻し、真の戦士であることを証明するため、デレーは仲間と共に苦難の旅に出る…。

と、ここまでのストーリーは、先史時代を舞台にした一人の若者の成長物語であって、トンデモな匂いはどこにもない(1万年前に北米に定住を始めたパレオ・インディアンを元にしたはずのヤガル族が、なぜドレッドヘアーで英語を話すのかとか、突っ込みどころはたくさんある)が、エメリッヒの活動屋魂が炸裂するのは、ここから先である。

デレーと仲間達は騎馬集団を追って氷河の残る北の大地から南下し、ジャングルに分け入り、竹林の中で溺れかけたサーベルタイガーを助けたり、ナク族という黒い肌の農耕民族(アフリカ系?)に遭遇したり、恐鳥という巨大な駝鳥のような肉食鳥(とっくに絶滅)に襲われたりしながら、さらに南下、ついに青い眼の騎馬集団の属する絶対神権国家に到達する。それはまさにハンコックが<神々の指紋>で描いた、超古代文明を持つ国家だった!

『インディペンデンス・デイ』で宇宙人に侵略される地球を描き、『デイ・アフター・トゥモロー』では温暖化で崩壊する地球を描いたエメリッヒだから、何が出てきても驚かないし、まして<神々の指紋>が元ネタなのだから、この程度の“超”は出てきて当然だろう。ただ、その辺りのアバウトな感じが、言語学者に旧石器時代人の言語まで作らせてしまった『人類創世』のジャン=ジャック・アノーの誠実さと違うところで、好き嫌いを分けると思う。だからといってエメリッヒをバカにしてはいけない。氷河期の終わる紀元前1万年に人類が狩猟生活から農耕生活への移行したというのは、きちんと根拠のある学説である。北から南へ地球を半周し、愛する人を救い出してハッピーエンドとなる『紀元前1万年』の青年の旅は、意外や“人類学的に正しい”のである。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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