映画の処方箋

Vol.043

『沈黙の陰謀』

マーシャルアーツ

マーシャルアーツという言葉が誕生したのは、1920年頃に中国武術を英訳したのが始まりといわれている。今では中国に限らず、東洋的な武術、格闘技全般を表す言葉として使われている。

 映画の中にマーシャルアーツの概念を持ち込んだのは、ブルース・リーではないかと私は思う。それまでのアクション映画は、クンフー映画を含め、武道家が技を見せるというよりは、俳優が殺陣の振り付けを演じる意味合いが強かった。ブルース・リーが敬愛していたキン・フー監督のアクション映画は、京劇の動きを基礎としているし、ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウという、ブルース・リーの死後、香港アクション映画界を担ったアクション・スター兼アクション監督らも、同じ香港の中国戯劇学院で京劇の修行を積んだ同窓生で(幼少時代の彼らを主人公にしたアレックス・ローの『七小福』という映画がある)、武術家というよりは俳優だ。武術家出身のスターというブルース・リーの正統な後継者は、ジェット・リーことリー・リンチェイとドニー・イェンの登場を待たねばならないだろう。リーとイェンは奇しくも同じ北京業余体育学校の同期生である。

 ハリウッドでマーシャルアーツを駆使したアクション・スターの先駆けといえばチャッック・ノリスだろう。アメリカ空軍の軍人として韓国の基地に赴任した際に、テコンドーの前身であるタンスドーを習得し、アメリカに帰国後、自ら格闘技チュクンドーを創設し、道場を開いた。弟子のスティーヴ・マックイーンの勧めで俳優の道に進んだ。チャック・ノリスはスターになる前に『ドラゴンへの道』で敵役としてブルース・リーと共演している。

 チャック・ノリスを継いで、現在、ハリウッドで最も有名なマーシャルアーツ出身のスターといえば、スティーヴン・セガールとジャン=クロード・ヴァン・ダムである。

 スティーヴン・セガールは、1952年ミシガン州生まれ。少年時代から空手を学び、17歳で来日し、英語を教えながら合気道、柔道、剣道、空手を始め、さまざまな武道を習得した。1988年に『刑事ニコ/法の死角』でデビュー。トミー・リー・ジョーンズと共演した『沈黙の戦艦』の大ヒットで、以降のセガール作品に“沈黙”がつくようになるが、個々の作品には関連がない。ただし、“東洋の武術を修行した無敵の男”というキャラは共通だ。セガール自身も自分の技に絶対の自信を持っており、“自分の技は普通のスピードでは目に見えない”と言って、しばしば敵を倒す瞬間をスローモーションで挿入している。『沈黙の要塞』では、石油採掘のために森林を破壊しようとする石油会社に挑戦する無敵の消火技師、『沈黙の陰謀』では、新型ウィルスを狙うテロリストと戦う無敵の免疫学者、『沈黙の報復』では、潜入捜査官の息子を殺され、復讐に燃えてギャングを倒す無敵の父親、『沈黙のステルス』では、盗まれた米軍の最新鋭ステルス機を奪還する無敵のパイロットと、絶対的に強い男を演じたら右に出る者はいない。2001年の『電撃』から始まる漢字2文字シリーズ(といっても、沈黙シリーズ同様、個々の作品に関連はない)でも無敵度は変わらず、『撃鉄』はヨーロッパを舞台に国家機密の争奪戦に巻き込まれる無敵の雇われ諜報員を演じている。

 一方、ジャン=クロード・ヴァン・ダムは1960年にベルギーのブリュッセルで生まれ、空手を学び、1980年に全欧プロ空手選手権ミドル級のチャンピオンになった。演技に興味を持ち、香港へ渡るがチャンスに恵まれず、1982年に渡米。スタントなどの下積みを経て、1985年に『ブラッドスポーツ』で初主演を飾った。空手とボディビルで作りあげたヴァン・ダムの肉体は、あらゆる武道を極めたセガールの肉体ほど威圧感がなく、無敵度も少ない。得意技のハイキックを遺憾なく発揮し、弟を半身不随にしたタイ人ボクサーに復讐する『キックボクサー』、返還前の香港でロシア・マフィアと戦う『ノックオフ』、最愛の妻を殺したチャイニーズ・マフィアに復讐する『レクイエム』など、アジア・テイストの作品が多く、ジョン・ウーのハリウッド・デビュー作『ハード・ターゲット』や、リンゴ・ラムの『マキシマム・リスク』に主演し、香港の映画監督のハリウッド進出に貢献していることは、『その男ヴァン・ダム』の中で自嘲気味のギャグに使われている。戦死した兵士を再生し、超人部隊を作ろうとする軍部の極秘実験で25年後の世界に蘇り、ドルフ・ラングレンと戦う『ユニバーサル・ソルジャー』は大ヒットし、その後2本の続編が作られた。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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