映画の処方箋

Vol.042

『その男ヴァン・ダム』

アクション・スターのサバイバル

『ベスト・キッド』で、日系のノリユキ・パット・モリタが演じてアカデミー助演男優賞にノミネートされた空手の師匠役を、リメイク版ではジャッキー・チェンが演じていると知って歳月を感じたのは私だけではないだろう。映画の中では、俳優の肉体は一種記号化されていて、ヒーローは老いや死とは無縁、永遠に強く、不滅の存在である。だが現実の人間はそうではない。いかにアクション・スターといえども一人の人間、歳月と無縁ではいられない。つやつや、ムキムキだった筋肉には次第に脂肪がつき、体の切れが悪くなり、肩で息をするようになる。毎日欠かさずトレーニングを積んでいても、若さという筋肉のしなやかさは年とともに錆びつき、二度と戻ってこない。当然ながら、スタントにダブってもらう場面が増える。ジャッキー・チェンの場合も同じである。『ベスト・キッド』の師匠役は、彼にとっての1つの選択だった。そして、ジャン=クロード・ヴァン・ダムにとっての1つの選択が『その男ヴァン・ダム』である。

 『その男ヴァン・ダム』の始まりは、ハリウッドらしい映画の撮影現場。アクション・スターのジャン=クロード・ヴァン・ダムが、敵の本拠地を急襲し、人質にとられていた少女を救い出す場面を長い長い1シーン1カットで撮影している。ところが、最後の最後でセットの壁が倒れてNGになり、撮り直しに。ヴァン・ダムは、このシーンを1カットで撮るのは無理だと監督に訴えるが、中国人監督は聞く耳をもたないうえに、中国人の通訳もあやふやで通じているのかどうか。そんな疲れる撮影が終わると、今度は別れた妻と幼い娘の親権を巡っての裁判である。すっかり疲れきったヴァン・ダムは、傷心を癒しにベルギーの故郷の町に帰るのだが、手持ちの現金を引き出すために立ち寄った郵便局で強盗事件に巻き込まれてしまう…。

 原題の『JCVD』は、もちろんジャン=クロード・ヴァン・ダムのイニシャルで、ヴァン・ダム自身が実名で登場する彼自身の映画である、という意味。とはいえ、ヴァン・ダムが演じているのは架空のヴァン・ダムで、つまりは、自分で自分を演じるセルフ・パロディ映画である。では、パロディ映画ならコメディなのかといえば、そうではなくて、ヴァン・ダム主演のアクション映画になっているところがミソ。たしかに47歳の肉体の衰えを自覚したり、プロデューサーやエージェントへの不満を口にしたり、ライバルのスティーヴン・セガールに役を取られたと嘆くところなど、現実のヴァン・ダムを彷彿とさせる“くすぐり”が散りばめられていて、ファンならずともニヤリとするところは多いが、人質強盗事件に巻き込まれたところから、映画はセルフ・パロディの次元を越えて、純粋なアクション映画に変わっていく。ただし、この人質強盗事件はまるごとシドニー・ルメットの『狼たちの午後』のパロディで(ジネディーヌ・スアレム演じる強盗一味の男はジョン・カザールのパロディだ)、セルフ・パロディの中にパロディが組み込まれているという入れ子構造になっているのである。

 実は、映画話法的にもフラッシュ・バックが多様され、時間軸が入れ子構造になった、なかなか複雑な映画なのだが、見ている分には複雑でも何でもなく、強盗事件の犯人に仕立てられてしまう無実の男がたまたまアクション・スターだった、というだけの単純なアクション映画として、さらりと見てしまえる。

 ここには、34歳のマブルク・エル・メクリ監督の熱い映画ファン魂が詰まっているのだが、製作総指揮を務めたヴァン・ダム自身の懐の深さも感じる。ハリウッドでは、なかなか本音を言い難いだろうし、映画製作に対する不満の部分は、パロディというオブラートにくるんではいるが、ヴァン・ダムが最も言いたかったことであるような気がする。ここまで“本音”を言ってしまったからには、今後は自分の納得のいく映画作りをする他ないと思うが、次作の『ユニバーサル・ジョルジャー:リジェネレーション』を見る限り、なかなか肉体派の看板は下ろせないようだ。演技派へのサバイバルの道は険しく、まだ始まったばかりだ。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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