映画の処方箋

Vol.040

第67回ヴェネチア国際映画祭

大人になれよ、タランティーノ!

規模ではカンヌに劣るものの、歴史の古さでは負けないヴェネチア映画祭。今年はお騒がせ男クエンティン・タランティーノを審査員長に招いた結果、期待通りの(ある意味、期待以上の)顛末になった。

 タランティーノは6年前にカンヌで審査員長になったときも、『オールド・ボーイ』のパーティでパク・チャヌクに“お前がパルム・ドールだ”と言って物議を醸した過去がある。今年のヴェネチアでも、初日の審査員記者会見で“DVDを50本集めて自分で小さな映画祭を開いたら、グランプリはトム・ティクヴァだった”と言ったので、びっくりした。それが事実でも、コンペにティクヴァの新作がエントリーしているのだから、他の候補作品の監督に(ティクヴァ本人にも)失礼だろう。案の定、金獅子賞を獲ったのはソフィア・コッポラの『サムウェア』だった。ソフィアは授賞式後の記者会見場でタランティーノとハグしていたけど、元カレが審査員長だったことで嬉しさ半分だったのではなかろうか。今後映画が公開され、“彼がいたから賞が貰えた”などと言わることにでもなったら、それこそ痛し痒しだ。

 そのソフィアの『サムウェア』は、ハリウッドの有名ホテル・シャトー・マーモントに住み、仕事のない日々を無為に過ごす映画スター、ジョニー・マルコ(スティーヴン・ドーフ)。部屋で双子のポール・ダンスを見たり、マッサージを受けたり、次回作の宣材撮影に行ったり。そんな彼に元妻が11歳の娘クレオ(エル・ファニング)を預ける。テレビ映画祭の授賞式にクレオを連れて行ったり、彼女が習っているアイススケートを見に行ったりするうち、彼女の純真さに触れ、無為な生活を脱する決意をする、というのが映画のあらすじ。冒頭、マルコが愛車の黒いフェラーリを運転して同じところをぐるぐる回っているシーンから始まり、道路の脇にキーをつけたままフェラーリを乗り捨てて歩き出すシーンで終わる。ソフィア自身、自分の体験を基にした親密な小品と語っている通りの分かりやすい映画だった。

 その他の賞は、監督賞と脚本賞をダブル受賞したアレックス・デ・ラ・イグレシアの『トランペットの悲しいバラード』、審査員特別賞と男優賞(ヴィンセント・ギャロ)をダブル受賞した『エッセンシャル・キリング』、新人俳優賞はダーレン・アロノフスキーの『ブラック・スワン』でナタリー・ポートマンのライバルを演じたミラ・クニス、特別獅子賞が彼を見いだしてくれた恩師モンテ・ヘルマンと、タランティーノの盟友の作品、またはコンテクストの範囲に収まる作品が優先的に選ばれているように思われる。そのうえ、三池崇史やツイ・ハークら“友人”は“元カノ”や“恩師”の下(ゆえに無冠)という、あからさまな差別化もほの見える。噂では、タランティーノが最後まで見ていた映画はほんの数本で、その他の、彼がつまらないと判断した映画は早々と席を立ったのだそうだ。

 以上のことから考えると、タランティーノは自分の理解の範疇を超える映画に対しては“つまらない”というレッテルを貼るだけで、理解しようとする姿勢を放棄したようだ。未知の領域への畏怖心というか、尊敬の念がないのだろう。その中に、王兵が中国近代史のタブーに挑戦した渾身の傑作『溝』が入ってしまったのはいかにも残念だ。

 “トム・ティクヴァがグランプリ”発言が飛び出した初日の記者会見で、タランティーノはもう1つ気になる発言をしている。それは、作家の日々という部門に短編を出品しているイランのジャファル・パナヒが、イラン政府から国外へ出ることを禁じられていてヴェネチアに来られないことへのコメントを求められ、“政治的な発言はしない”と答えたことだ。今年のカンヌでも大きく報道されたイラン政府によるパナヒの拘束は、実は政治問題などではなく、映画作家の表現の自由の問題であって、各国の映画作家の一人一人が個人の問題として受け止めるべきものなのだ。私はタランティーノのこの冷たい返答を聞いて、心底がっかりした。

 もちろん、タランティーノに各方面に配慮したディプロマティック・コレクトな受賞結果を出せと言っているわけではない。元カノのソフィアに金獅子賞をやり、恩師のモンテ・ヘルマンに特別獅子賞をやり、あっぱれと言いたいくらい我を通したことも、一概に悪いことではないと私は思う。しかし、記者会見場に入ってくるなり、イタリア無冠に怒ったイタリア人プレスに野次られ、怒って自慰を表すジェスチャーをやり返した審査員長の姿は、とてもみっともいいとは言えない。審査員長はその年の映画祭の顔であり、いわば公職である。タランティーノよ、少しでいいから大人になってくれ!

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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