映画の処方箋

Vol.024

『Ray/レイ』

もしエリック・ビショップがジェイミー・フォックスにならなかったら…。

面白い本を読んだ。物理学者にして『スタートレック』の脚本家でもある科学ライター、レナード・ムロディナウ著<たまたま――日常に潜む「偶然」を科学する>である。本によれば、人が成功する、しないには偶然の要素が大きな関わりを持っていて、ビル・ゲイツが大富豪になったのもブルース・ウィリスが大スターになったのも、偶然のなせる業なのだそうだ。もちろん努力や実力は必須だが、他人から1歩抜け出して成功を手にするには偶然が大きく作用するのだという。まさか。でも、確かにひょんなことがきっかけになってブレークする俳優は沢山いる(逆もまた真なり)。

アルバイトのバーテンで稼いでいたニューヨークの売れない俳優ブルース・ウィリスがチャンスを掴んだのは、偶然ロサンゼルスに行った際、テレビシリーズ「こちらブルームーン探偵社」のオーディションを受けたことだった。エリック・ビショップがチャンスを掴んだのは、1989年、ガールフレンドの薦めでコメディ・クラブの舞台に立ち、ジェイミー・フォックスという芸名のスタンダップ・コメディアンになったときだった。そしてジェイミーが映画俳優としてブレークするきっかけとなったのは(ブルース・ウィリスにとっての『ダイ・ハード』は)映画『Ray/レイ』に出演したことだった。彼は『Ray/レイ』の演技でアカデミー賞とゴールデングローブ賞男優賞をダブル受賞し、そのうえ、同年公開された『コラテラル』のタクシー運転手役でも数々の助演男優賞にノミネートされ、一気にスターダムを駆け上がった。

『Ray/レイ』の監督はテイラー・ハックフォード、『コラテラル』の監督はマイケル・マン。俳優、特に男優なら、誰もが出演したいと願う監督に1年で2作も巡り会ったのは、ジェイミーの運命だろうか、それともただの偶然だろうか。

『Ray/レイ』は“ソウルの神様”ことレイ・チャールズの人生を描いた伝記映画である。監督のテイラー・ハックフォードは元々音楽の趣味がいい人で、リッチー・ヴァレンスの生涯を描いた『ラ★バンバ』を製作したり、チャック・ベリーのドキュメンタリー『チャック・ベリー/ヘイル!ヘイル!ロックンロール』を製作・監督したりしてきた。その彼が、レイ・チャールズ本人と長年暖めていた企画が『Ray/レイ』だった。15年にも渡る長い準備期間に、ハックフォードはレイ自身から直接リサーチして脚本を練り上げられたし、また撮影中にも本人から直接演技指導を受けることができた(残念ながら、レイ・チャールズは映画の完成を待たずに亡くなる)。そこが単なる伝記映画に収まらない、ドキュ・ドラマ風な趣を作品に加えている。そして、ここがハックフォードのすばらしさなのだが、これだけ本人から協力を得ながら、本人を偉人にせず、人として等身大に描こうとしているところである。リスペクトはしても、おべんちゃらは言わない。お涙頂戴的な安っぽいドラマ化はしない。盲目というハンディ、黒人差別、女性問題、ミュージシャン達やレコード会社との軋轢、麻薬との戦い。レイの実人生は劇的に描かなくても十分劇的だし、それを公明正大に、丁寧に描いているところに好感が持てる。数々の名曲を楽しみながら、名曲誕生のバックグラウンドを知ることができる。丁寧に描くあまり、映画がちょっと長めになっているのが玉に瑕なのだが、この点は、むしろ茶の間で鑑賞するのに向いているのではないかと思う。加えてジェイミー・フォックス入魂の名演である。

もしテイラー・ハックフォードがレイ・チャールズに出会わなかったら、もしエリック・ビショップの両親が離婚せず、養母にピアノを習わせられなかったら、もしエリック・ビショップがジェイミー・フォックスにならなかったら、ジェイミーがレイ・チャールズの物まねが得意でなく、オーディションに受からなかったら……。傑作『Ray/レイ』が誕生したのは運命だったのだろうか、それともただの偶然だろうか。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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