映画の処方箋

Vol.015

『少林寺』

映画の醍醐味は肉体にあり

19世紀末に映画が誕生してから1世紀あまり。テクノロジーの革新につれ、映画もまたどんどん進化し、どんどん面白くなった…、というのは真っ赤な大嘘。映画は誕生のときから面白かったし、面白さの質はテクノロジーの進歩とまったく関係ない。その証拠に、チャップリンやキートンの映画を見ればわかる。ビルの上の時計の針からぶら下がるハロルド・ロイドでもいい。CGで作られた嘘の群衆は、『イントレランス』の本物の群衆の迫力には勝てないし、『ベン・ハー』の戦車競争の迫力は生み出せない。いくらテクノロジーが進化しようと、人間の肉体の美技、本物の迫力には勝てない。ブルース・リーやジャッキー・チェンはCGでは生み出せないのである。

私が初めてリー・リンチェイの噂を聞いたのは留学中のパリだった。新体道を学んでいる友人から来た手紙に、日本で大ヒットしている『少林寺』を見て、“この人は本物だ、すごい”と書かれていたのだ。“本物だ”という言葉は、当時、飛ぶ鳥落とす勢いでスターダムを駆け上がっていたジャッキー・チェンと比較して、という彼女の武術家らしい感想なのだが、京劇の修行を積んだジャッキーのアクションは、エンターテイメントが基本にあって、私は大好きだし、歌舞伎俳優が発展させた日本のチャンバラ映画に通じるところがあると思う。ま、この話はまた別の機会にするとして。さて、私が実際に『少林寺』を見たのは帰国後のことで、すでにツイ・ハークと組んだ黄飛鴻シリーズがヒットし、映画界に転身したリンチェイはスターになっていた。その後、ジェット・リーとしてアメリカに進出し、大活躍することになるのはご存知の通りだ。

今回、『少林寺』を見直してみて、意外によく出来ているので、びっくりした。当時はリンチェイの切れのいい動きや、修行僧が並んで行う型のすばらしさばかりに眼が行って、内容の方は、正直ちょっとかったるかったし(字幕も正確さに欠ける)、結構いい加減に見ていたのだった。

映画『少林寺』は、11歳から中国武術大会で5回連続総合優勝という快挙を成し遂げた天性の武術家リー・リンチェイを売り出すために作られた映画である。すべての出発点はそこにある。映画の始まりは、少林武術の中心地、少林寺の説明から。少林寺には諸山あり、発祥についても諸説あるようだが、この映画の舞台は中国河南省の古都、鄭州市にある嵩山少林寺で、開山は北魏の孝文帝の時代(496年)。唐代初期にインド僧達磨大師が9年間座禅を続け、中国禅を開いた寺でもある。映画は少林武術を紹介しつつ、僧が修行する寺の内部に入っていき、1枚の壁画から、いよいよストーリーが始まる。なんだか前置きが長すぎるようにも思うが、映画初出演の武術家を売り出すためなのだから、このくらいもったいをつけた方がいいのである。

肝心のストーリーは、悪辣な将軍に武術家の父を殺された主人公の小虎(リー・リンチェイ)が、少林寺の僧の助けで武術を習得し、師の娘との恋を経験しつつ、将軍に追われていた男を助け、仲間の僧と力を合わせて将軍を倒す、というもの。一見ありきたり。だが、実は悪役の将軍は、随末に鄭の皇帝と称した王世充、将軍に追われていた男とは、唐の太宗となる李世民のことなのだ。つまりは、隋末の混乱期に、少林寺のある一帯(鄭州は、古代に殷の都があったところ。洛陽近郊にある)を支配した鄭の圧政に反発し、李世民に援軍の僧兵を送って唐の建国に貢献したという寺の歴史が元になっているのである。映画を見ただけでは、そんな壮大なストーリーだったとは全然わからない。そこがミソでもある。何度も言うようだが、この映画はリー・リンチェイを見せるのが目的なのだから、余分な部分は(製作費もワイヤーも)極力削られているのである。見よ、スクリーンに初めて映った、まだあどけない10代のリンチェイの若々しさ、バネのような動き、見るからに柔軟なその筋肉! その後、リー・リンチェイ=ジェット・リーは次々に冴えたアクションを見せてくれるのだが、素材のすばらしさを見せつけた作品といえば、やはり『少林寺』を置いて他にない。

昨年、ジャッキーとリンチェイが初共演した『ドラゴン・キングダム』を見て、溜息が出たのは私だけではないだろう。アスリートの絶頂が20代であることを思うと、現在46歳のリンチェイ=ジェットは、よく肉体を保っているし、年齢と共にアクションの質を変え、演技に比重を移していく路線もうまくいっているとは思う。けれども『少林寺』を初めて見たときのあの驚きは、もう二度と戻って来ないのだ。肉体の命も、花の命と同じくらい短いのである。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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