映画の処方箋

Vol.010

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』

お盆にレスリー・チャン

西洋で死者の日といえば晩秋(万聖節=ハロウィーン)だが、日本では真夏のお盆。お墓参りに行くのも夏、幽霊が出るのも夏。遊園地にお化け屋敷が建つのも、寄席で怪談噺が語られるのも夏の風物である。子供の頃は、お盆になると家の仏壇に提灯を飾り、お供えをし、門口で迎え火を焚いて祖先の霊を招き、棚経をあげ、送り火を焚いて送ったものだった。お盆の間は家のどこかに霊がいるかもしれないと、暗がりがなんとなく薄気味悪く思えた。そんな経験が下敷きになっているのか、今も夏の夕暮れになると、この世の向こう側へ行ってしまった人々のことが、そこはかとなく思い出される。ただし、この歳になると親しい人が何人も向こう側に逝ってしまったせいで、霊は薄気味悪くも何ともなく、むしろ懐かしく思える。自分が向こう側に近づいた証拠かもしれない。

さて、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』は、民間の怪談話を集めた蒲松齢(1640-1715)の小説集<聊斎志異>の1編を映画化したもので、1987年に製作された。借金を取り立てるために旅をしている青年・寧采臣(レスリー・チャン)が、一夜の宿を借りに入った村外れの寺で、琴の音に誘われて美女・小倩(ジョイ・ウォン)に出会い、恋に落ちる。が、実は小倩はすでに1年前に死んでおり、千年樹の妖怪に自分の骨壷を抑えられたせいで、男を誘惑して精気を吸い取る役割を担わされていた。その標的になった寧だが、寺に住む道士で剣の達人・燕赤霞(ウー・マ)の助けで、妖怪から小倩の骨壷を取り戻し、魂を成仏させる、というのが映画のあらすじである。

当時、香港製怪談映画というと、蘇った死体“キョンシー”とカンフーの達人が対決するコメディタッチのホラー映画『霊幻道士』が大ヒットしていた。めはしの利くツイ・ハークが、このホラー・ブームに乗っかろうとしたとしても不思議はない。が、そこはツイ・ハーク、二番煎じではなく、まったく新しい、エロチックな大人向けのホラーを目指した。ただのカンフーではなく、ワイヤーアクションを大胆に取りいれ、薄物をまとった美女ジョイ・ウォンを宙に舞わせ、かくしてエロス+アクション+ホラー映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』が誕生したのであった。

私は、記者会見以外で1度だけ生レスリー・チャンを見たことがある。たしか、陳凱歌の『花の影』がコンペに出品されていた1996年のカンヌだったと思う。海岸のクロワゼット通りを韓国人の友人Hと歩いていると、突然Hが「あ、レスリー・チャンだ」と叫んだのだ。ふと見ると、そこにレスリーが立っていた。最初、彼女の言葉が聞き取れず、私が何度も訊き返したせいでHが“レスリー・チャン”と連呼したのが耳に入ったのだろう、私達を振り返って、はにかんだような微笑を浮かべていた。忘れもしない、紫がかったブルーの上品なスーツで、同色のザックを肩にかけていた。大スターなのに、おごりが微塵もなく、気さくで繊細な雰囲気が漂っていて、以後、レスリーというと、私は決まってあのときのはにかんだ微笑を連想するようになった。

2003年4月1日、レスリー・チャンが香港のマンダリン・オリエンタル・ホテルから投身自殺をしたニュースを聞いたときも、真っ先に浮かんだのはあのときの微笑だった。やっぱりね。芸能界を生き抜いていくには、あんな微笑をしていてはダメなのだ。もっとずるい、悪賢い人間にならなくちゃ。しかも、高所恐怖症のくせに、よりにもよって24階から飛び降りるなんて…。レスリーの葬儀のときに弔辞を読んだのは、ジャッキー・チュン、ツイ・ハーク、ジェームズ・ウォンだったという。奇しくも『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2』のキャスト&スタッフである。

レスリー・チャンのキャリアを考えるとき、まず第一に挙げねばならない映画は、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した陳凱歌の『さらば、わが愛/覇王別姫』か、でなければ王家衛の『欲望の翼』や『ブエノスアイレス』あたりであって、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』では決してないと私は思う。けれども、お盆にレスリー・チャンを思うには、幽霊に惚れられたおかげで事件に巻き込まれるハンサムな書生役を、友人達に囲まれながら、何の屈託もなく、楽しそうに演じていたこの作品が一番いい。あれから、はや6年。レスリー、あの世に飽きたら、たまにはこの世に戻ってきてね。合掌。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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