映画の処方箋

Vol.008

『ジョーズ』

『ジョーズ』とジョン・ウィリアムズ

『ハリー・ポッター』シリーズ最新作『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を試写で見ていて、テーマ音楽がジョン・ウィリアムズの作曲であることに、ふと気がついた。ジェリー・ゴールドスミス亡き後、アメリカ人作曲家で映画音楽の第一人者といったら、ジョン・ウィリアムズを置いて他にないだろう。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズの勇壮なテーマ曲もウィリアムズだし、リチャード・ドナーの『スーパーマン』の音楽も彼だ。しかし、何といってもウィリアムズの名を不動のものとしたのは、スティーヴン・スピルバーグとのコラボレーションの数々であり、中でも最高傑作が『ジョーズ』である。

『ジョーズ』は、あらゆる意味で映画史に残る金字塔的作品だと思う。まず、巨大な人食いサメが平和な海辺の町を襲うというコンセプトが斬新で、映画の大ヒット後、数知れない亜流を生んだ。撮影前にプロデューサーから原作を読むように言われたスピルバーグは、『JAWS(顎)』という題名を聞いて、歯医者の話かと思ったそうだが、今では“ジョーズ”といえばサメの代名詞になってしまった。

映画のジャンルとしても斬新だ。サメの姿を見せずに恐怖を盛り上げる前半は、パニック映画でもあり、サスペンス映画でもあり、怪獣映画でもあるし、サメ退治に乗り出す後半などは、まさに海洋アドベンチャーである。特に、今回見直してみて、警察署長のブロディ(ロイ・シャイダー)、船長のクイント(ロバート・ショー)、海洋学者のフーバー(リチャード・ドレイファス)の3人がオルカ号でサメ狩りに出かける場面、特にクイントが、戦艦が撃沈されて海に投げ出され、戦友がサメに食われるのを目撃した懐古談をするところなどは、どことなく『白鯨』のような風情がある(サメ殺しに執念を燃やすクイントのモデルは間違いなくエイハブ船長だろう)。まさに、『ジョーズ』の前に『ジョーズ』なく、『ジョーズ』の後に『ジョーズ』なし。これを劇場用映画2作目、弱冠27歳の青年が撮ったのだから、スピルバーグは天才である。

 とはいえ、私は個人的にはジョン・ウィリアムズの音楽をそれほど高く買っていない。さすがに『スター・ウォーズ』のテーマ曲くらいはすぐに思い浮かべられるが、『ハリー・ポッター』は全然ダメだし、アカデミー作曲賞を受賞した『シンドラーのリスト』もイツァーク・パールマンの弾くバイオリン曲は思い出せる(ただし、曲は既成のもので、ウィリアムズの作曲ではない)が、映画の中でどんな音楽の使い方がされていたかについてはさっぱりだ。ヒッチコックの『サイコ』や『めまい』の名場面と分かちがたく結びついたバーナード・ハーマンの音楽や、フェリーニ映画の血や肉と化したニーノ・ロータの音楽と比べると、ちょっと格が違うように思えてしまう。それは、ウィリアムズの責任というより、盟友スピルバーグの映画がジェットコースター化していき、それに伴って映画音楽がBGMと化して、湯水のように消費されるようになったことと無関係ではないと私は思う。最近ではCG化した映像の隙間を埋めるために、さらに音楽が垂れ流しされていて、映画で音楽の流れない部分がさらに減ってしまった。しかし、“近代化”以前の作品である『ジョーズ』は、ウィリアムズの作曲と思えないほど(失礼)冴えている。いや、“彼本来の才能が発揮されている”と言った方がいいかもしれない。

一度聴いたら忘れられない単純な2音の繰り返し。サメの姿を見せない前半ではサメの登場を予告し、不安をかきたて、サメが姿を現す後半では、逆に音楽を外すことによって観客に予期せぬショックを与える。スピルバーグのカメラワークも文句なくすばらしいし(後半の海の場面がほとんど手持ちカメラで撮られているのは有名な話)、音楽は映像のBGMとして消費されるのでなく、映像を補完し、映画の要素として独立した効果をあげている。ウィリアムズの音楽のない『ジョーズ』など考えられない。まさにウィリアムズなくして『ジョーズ』なし、“必聴の映画”なのである。

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ライター 斎藤敦子のプロフィール

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