映画の処方箋

Vol.214

『バベル』

監督の期待に応えた菊地凛子の演技を堪能

 『バベル』はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の3本目の長編映画で、06年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞し、アカデミー賞に菊地凛子の助演女優賞を含む6部門にノミネートした(受賞は作曲賞のみ)。その後、14年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』、15年『レヴェナント: 蘇えりし者』で2年連続アカデミー賞監督賞受賞という快挙につながる序章の時代の核となる作品である。

 映画はモロッコ、日本、アメリカとメキシコで起こる3つのストーリーを平行して描いていく。まずはモロッコ。山羊を襲うジャッカルを退治するために父親が山羊の放牧に行く息子の少年たちに手に入れたライフルを手渡す。兄弟は遊び半分で射撃の腕を競い合い、山道を登ってくるバスを撃つ。バスには、生まれたばかりの子供を亡くして以来、ぎくしゃくしている夫婦の絆を取り戻すために旅行に来たアメリカ人のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)の夫婦が乗っており、兄弟の撃った銃弾がケイトの肩を貫く。リチャードは言葉も通じなければ医者もいない辺鄙な村で、瀕死のスーザンを何とか救おうとするのだが…。続いてカリフォルニア。メキシコ人の乳母アメリア(アドリアナ・バラッザ)が夫妻の留守宅で、姉デビー(エル・ファニング)と弟マイク(ネイサン・ギャンブル)の面倒を見ながら帰りを待っていた。ところが事故で帰国が遅れることになり、代わりの乳母が見つからないため、仕方なく幼い姉弟を連れて、息子の結婚式へ出席するためメキシコへ向かう…。そして東京。母親が自殺した後、聴覚障害者のチエコ(菊地凛子)は父親(役所広司)との仲がうまくいっていない。ボーイフレンドを作りたいが、障害があるため、かえって傷つく結果になってしまう。そんな頃、父親を訪ねてきた若い刑事に淡い恋心を抱くのだが…。

 題名のバベルとは、旧約聖書に出てくる町のこと。人々が天まで届く塔を築いたのを見て、神がそれまで1つの言葉しか話さなかった人々の言葉を"ごちゃまぜ"(ヘブライ語でバベル)にしたという。"バベルの塔"といえば空想的で現実不可能な計画のことを指し、絵画や文学のテーマにもなっている。本作では、互いに相手を理解し、気持ちを通わせることの難しさを"バベル"という言葉に託し、モロッコ、日本、アメリカという一見何の関連もない、かけ離れた場所で起こる3つのストーリーが、"ライフル"という物体を通して1つに繋がっていることを描き出す。地球上のどの国のどんな人々も、他国の見知らぬ人々と無関係では存在しえないというテーマがそこにある。

 『バベル』はイニャリトゥの長編デビュー作『アモーレス・ペロス』、2作目『21グラム』でコンビを組んだ脚本家ギレルモ・アリアガとの3本目にして最後の作品。3作は、すべて3つの物語がある1点で交錯するという構成を持つ群像劇で、本作が最もスケールが大きい。アカデミー賞では東京編とカリフォルニア編の主演である菊地凛子とアドリアナ・バラッザの二人が助演女優賞にノミネートした。菊地凛子は81年生まれで、撮影時は20代半ばだったため、高校生には見えないと日本人スタッフ全員が起用に反対したという。それを押し切って彼女を登用したイニャリトゥの期待に見事に応え、国際派の女優へと大きく飛躍するきっかけを作った菊地凛子の繊細な演技は、今でも一見の価値がある。

ライター 斎藤敦子のプロフィール

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